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難民といっしょにカフェを作る〈家〉セツルメントGEIJUTZEプログラム/
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HECP〈家〉セツルメントGEIJUTZEプログラム
ホームエレクトロニクス・カフェHECP(Home Electronics Cafe Program)とは
What's "HECP"?
HECP(Home Electronics Cafe Program)
HECP(Home Electronics Cafe Program)は、1975年から日本で始まったセツルメントハウス〈家〉運動。
HECP(Home Electronics Cafe Program)は、オルタナティブな「マーケット」として、2055年日本全国で30万カ所、世界中で2000万カ所の実現を目指すGEIJUTZEプログラム
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GEIJUTZEプログラム/〈家〉セツルメントプログラム
日本にはすでに「数千万」のキッチンの設備があり、「数千万」の家庭料理の料理人が存在する。
〈家〉セツルメントはどこの家庭にもある「家電」を使ったキャッシュフォーワークによる自宅公共化プログラム。
GEIJUTZEプログラム/〈家〉セツルメントはドアノブにプレートを吊るすだけで「自宅」はパブリックに早変わりする自宅開放運動だ。まずは、知人や近隣住民のお茶会飲みスペースとしてスタートしてみる。シンプルで過度な技巧にこだわらないアットホームなメニューにより誰もが一人でも運営できる無理のないオペレーション。その運営スタイルは自立自助による独立経営だが、決して営利を主目的とせず家族や友人、そして近隣住民によるコンソーシアムやワークシェアリングの概念を導入している。
〈家〉セツルメントの起業は、自宅や全国に点在する空家や廃屋を舞台にした「公共的スクウォット」、自主独立の経営と社会的使命達成に対する報酬としての、適正な利益に基づく運営を目指している。
〈家〉セツルメントは、普段自分一人だけいるとき、家は「プライベート」な空間だが、客がくれば、その空間は「パブリック」になる。つまり、「パブリック」と「プライベート」は対立する要素ではなく、何を「プライベート」にして何をオープンにし、「パブリック」にするかということを個人が自分自身で選んでいく自己決定性にある。個人個人がいろんなリソースをパブリック化し、シェアすることで、地域、経済、市場の共有可能性が生まれる。つまり、オルタナティブなマーケットは時間や場所による分割ではなく、オーバーレイによる多層な重なりなのである。
〈家〉セツルメントにはスリープという待機モードがある。スリープとは、省電力の待機電源モードのことである。通常の起動状態と比べると大きく電力を節約できる上に、起動中のプログラムなどを終了させることなく、素早いリブートが可能となるといった利点がある。
〈家〉セツルメントのオープンの概念は一般的なオープンとは異なり、クローズドオープンという「少し開いている」という概念である。自宅の公共化の理念は、その利用に関しては、「入店」が何よりも重要なのである。従来の常識や概念とは全く異なる独自のマナーとルールが必要になってくる。
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〈家〉セツルメントでは、一見さんお断りとは別に一般の客に対しては"JUSTICE"という、ユニークなサービスコンセプトがある。来訪時に「客」はチャイムを鳴らし入店の意志とあいさつを行ってから部屋に向かうスタイルだ。「客」のマナーレベルに応じて公正にサービス。マナーレベルの高いスマートなお客のみに客層をセグメントし、「家」と同じように自由にくつろいでもらいたいという考え方だ。また、マナーレベルの低い「客」に対しては利用を断る場合もあるが、「客」はその人柄やマナー以外ー年令・性別・国籍・業界・地位等による差別を受けることはなく反対に、それらによる特典的サービスもない。
「スリープする家」ー
JUSTICEコンセプトとクローズドオープン
一般の「客」が、来訪時にチャイムを鳴らし入店の意志とあいさつを行い、オートロックを解除を確認してから部屋に向かうスタイルだ。一見の一般の客に対しては"JUSTICE"という、ユニークなサービスコンセプトがある。1975年から始まった、お客様のマナーレベルに応じて公正にサービス。マナーレベルの高いスマートなお客のみに客層をセグメントし、家と同じように自由にくつろいでもらいたいという考え方だ。また、料金面においてもご予約やノースモーキングのお客に関しては精算時においてのディスカウント、逆に、携帯電話の使用や大声での談笑などの他のお客や近隣住民ご迷惑になる行為は全て「オプションチャージ」を設けている。また、あまりにもマナーレベルの低い客に対しては今後のご利用を断る場合もあるが、客はその人柄やマナー以外ー年令・性別・国籍・業界・地位等による差別を受けることはなく反対に、それらによる特典的サービスもない。
オルタナティブな「家」の最大の特色はオープンソースであるということがいえる。その「家」の掲げる理念に共鳴すれば、誰しもが自由に「参加」することが出来、プロジェクトを発展させていくことが可能だ。客は近隣や知人だけではなく、その空間性に興味を持った国内外の有名アーチスト、学者や社会学やジャーナリズムが多く来訪した。だが、有名なタレントや文化人、大企業の社長や大学の教授だからといって全く特別扱いされることはなく、逆にその無名性が心地よい時間を過ごせることが結果的にリピートに繋がっていく。しかし、このプロジェクトの触媒性を保つためには、内部に特権的な人間を作ってはいけないという考え方によるものだ。
〈家〉セツルメントの特色は、誰しもが「自由」に参加することが出来、プロジェクトを発展させていくことが可能なのだが、その入店に関しては厳格なマナーとモラルが存在する。「自由」と「公共」はコインの表裏なのである。客は近隣や知人だけではなく、その空間性に興味を持った国内外の人間が来訪する場合も、マスコミ、有名なタレントや文化人、大企業の社長や大学の教授だからといって全く特別扱いされることはなく、逆にその無名性が心地よい時間を過ごせることが結果的にリピートに繋がっていく。概して、本物のアーチストなどはマナーやモラルもよく、たいへん謙虚で真摯な対応だが、マスコミや広告代理店などの一般的に「業界」と呼ばれる層は特権意識が強く非常に厄介だ。過去にもマスコミメディアがドキュメントを作りたいといってきて、私たちに協力しているので料金は払いたくないと言ってきたが、私たちは彼らの参加を断った。このプロジェクトの触媒性を保つためには、内部に特権的な人間を作ってはいけないという考え方によるものである。
〈家〉セツルメント/おもてなしの脱構築
現在の日本の市場社会では競争原理主義に片寄り過ぎ、「客」のマナーが顰蹙を買っている状況が多く見られる。 日本の「おもてなし」は、いい意味でサービスの「プロフェッショナルイズム」とも言えるが、一方で「客」という概念が未成熟な「見た目主義」のサービス社会であるとも言える。「おもてなし」は日本の伝統財産であり、たいへん素晴らしいものである。しかしながら、その奥にある精神性を踏まえずにその形だけをマニュアル化して、一般コモディティのサービス業に対し、広範囲に過度なサービス基準を導入することによって、働く側のメンタルなストレスが顕著化し、高齢者や障がい者の雇用を閉め出し、さらに、若者ですらこのような不況下の求人状況でもサービス業に人が集まらないという、雇用のミスマッチも生み出している。確かに一見細やかな心配りというのは素晴らしいが 、その反面細部への行き過ぎたこだわりが過剰にモノの命を無駄にしている場合も多い。日本社会が"もてなし文化"を称えれば称えるほど、私たちは自分で自分たちの首を絞めているとも言える。
日本を訪れる外国人観光客の数は増えており、今や、ホテルやレストラン、航空会社、小売り、博物館などの収益を支えるのは外国人観光客だ。訪日外国人数を2000万人に増やしたいとしていたが、次なる目標を4000万人に引き上げた。外国人が日本に求めているのは「カジノ」でも「おもてなし」でもない。日本のアイデンティティ=「魅力」とは、人権や環境に溢れたコミュニティであり、パブリックなのだ。つまり、全国どこにでもある市民〈家〉セツルメントと地区(市町村)の原風景なのである。「おもてなし」や「カジノ」や「万博」などの貧困な発想は、過去の因習に囚われた創造力の不足した「議員」や「学者」の思いつきや錯覚に過ぎないのである。
無名でたったひとつの〈家〉セツルメントはその時代の象徴としての「存在感」を持つことが出来るのか。ー「私たちの〈家〉セツルメントは、思っている以上に素晴しい!」
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「ヒュッゲ(hygge)」な時間を共有する、ホームビジット方式のパブリックネスな〈家〉セツルメント
"「ホームビジット」とは、国内外の旅行者が一般の日本人の家庭におじゃまして、宿泊を伴わない短時間の訪問のことをいい、夜ごはんやランチだけを体験することができるアクティビティです。だいたい食事の時間帯を避けた2~3時間、長くて半日程度を普通の家庭で過ごし、日本人の日常生活を理解してもらおうというものです。「どんなふうに歓迎しよう?」と考えるでしょうが、お客様扱いや特別なことをする必要はありません。家族の一員として迎え、一緒に食事をしたり、おしゃべりをしたり、普段着のまま、気楽に接することが大切です。
デンマーク人に「デンマーク人にとって、一番大切なことは?」と聞くと、たいてい「ヒュッゲ(hygge)」という答えが返ってきます。そのあとには必ず「これは、外国語には訳せないよ」という言葉が続く。その時の表情には、デンマークの文化に対する誇りと懐かしさのようなものが混ざっています。たとえば、誰か親しい人の家によばれて、食事を食べたり、コーヒーと手作りのケーキをいただいたりして、ゆっくり時間を気にせずに、心ゆくまでおしゃべりし、軽い冗談を言っては笑ったり、心がくつろいで、なんだかぽっとあたたかい気持ちをその場にいるみんなが共有しているなあ、という感じ。を言います。
ホームビジットをする人(ビジター)も緊張していますから、ちょっとした気配りを忘れずに迎えてあげましょう。ですから、家が狭くてホームステイの受け入れができない家庭や、外国人を迎えるのにまだ不安を感じている方にとっては受け入れやすいでしょう。もちろん、外国人だけではなく、日本全国の日本人の方のご訪問も大歓迎です。
肩肘はらず、シンプルに。いつものコモディティの中に、取り入れてみませんか。はりきって普段と違うおもてなし料理を作って迎えるわけではなく、毎日おうちで食べている、コモディティの家庭料理を用意します。たった数時間。しかも、いつものごはんを一緒に食べるだけ。たったこれだけのことだけど、自宅にいながらにして世界中の様々な人と過ごす時間は新しいライフスタイルになるはずです。
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