「ゼロコロナ」ー正々堂々と戦わないのは、中国共産党と日本人だけである。
ウイルスはどんどん進化を続けている、
ウイルスがどんな“顔”をしているのか
これが科学の限界。
重要なのはウイルスの“顔”ではなく、“理念”である。
このウイルスの理念は、群がり生える「共叢」、つまり、ヒト生体中に叢り続けることにある。
「さよならは別れの 言葉じゃなくて、再び逢うまでの 遠い約束」ウイルスにとって、今は「夢の途中」だ。
ウイルスの生存戦略は、ただ「反射」しているだけである。問題は「反射」の方法ではなく、なぜ「反射」するのかというウイルスの理念である。
このウイルスの持つ反射本能は、「生命」としての承認欲求のモジュールであり、自らの生命体としての存在価値を認めて欲しい。ウイルスの中でも強いメンヘラ女子(男子)のような「かまってちゃん」タイプだと言える。
まずは、ウイルスの気持ちになって
考えることが重要だ。
この新型コロナというウイルスは、ウイルスの中でも強い
メンヘラ女子(男子)のような「かまってちゃん」タイプだ。
このかまってちゃんに対して、かまうというのは、単に優しくするわけではない。
もう少しウイルスのことを理解し、認めてあげるところから始めていかないと、この「かまってちゃんウイルス」は、他のウイルスを見ないで、もっと自分のことを分かってほしい、もっと自分と争ってほしい、と
どんどんエスカレートし、変異を繰り返していく。
イギリスやデンマークなどの国は、このウイルスの理念の入口にようやく到達し、新型コロナとの共叢を模索し始めたと言ってもいい。
問題は、中国共産党と日本人の相変わらずの「ゼロコロナ」である。このウイルスを得体の知れない、何をしでかすかわからない、恐怖の病原体だと決めつけ、いつまでもヒステリックに「敵視」し、「差別」を続ける。
日本人は、充分な医療資源を持ちながら、その体制を変えることができないことを棚に上げて、この「かまってちゃんウイルス」を結核やSARSと同じように扱ってしまった。
ウイルスとの共存とは果てのある戦争ではなく、果ての存在しないループした戦争なのである。
新型コロナとの「共叢」とは、決してこのウイルスと仲良くやっていこうということではない。「共叢」とは、このウイルスとの「戦争」と向き合った後の結果である。「戦争」と向き合いもせずに「共叢」ということは、概念行為として成り立たない。
何よりもこの「かまってちゃんウイルス」にとって、ヒト生体の細胞が「争って」くれることが最大の喜びであり、快感なのである。つまり、感染はウイルスにとっての愛情表現のようなものである。
ウイルスにとっては、この争いは最高の快楽なのであり。その戦いで生きる死ぬという結果は、ウイルスにとって全く関係ない、そもそもウイルスに「生命」という概念が存在していないのだから。
僕らの名前を覚えてほしい
そもそも新型コロナというネーミングが良くない。
王冠のような形をしているからコロナというのは、
米屋の娘に米子(よねこ)と名づけているようなものである。
この際、コロナではなく通称を考える
その場合、その外形ではなくその概念を表象する
ネーミングのアーキテクチャーが必要である。
ウイルス名前を
CHIV
COVID-19 ヒト免疫不全ウイルス (Covid-19 Human Immunodeficiency Variant
発症を
MIDS ミッズ
低代謝低体調免疫不全症候群 ( Metabolism & Undercondition Immunodeficiency Syndrome)
と名づける。
これで一旦、新型コロナは風邪やインフルエンザと同じだと、大はしゃぎする「バカ」たちを抑えることができる。この連中がコロナ禍最大の元凶なのだ。ネーミングは今後の行動様式をイメージさせるものでなければならない。新型コロナがいつまでも、風邪やインフルエンザの概念に引っ張られていることが問題なのである。
一方で科学はスパイクタンパクの形が変わるたびに変異株だと大騒ぎをするが、一つのウイルスの病原性や感染性の強弱が明滅していると捉える方が合理的である。この未知のウイルスは、病原性は決して強くないが、感染力や基礎疾患者に対する免疫不全のブーストや後遺症を考えれば、決して風邪やインフルエンザではなく、HIV系のウイルスとして捉える方が今後の行動様式は構築しやすい。
僕たちは免疫学の勉強や実験をやっているわけではなく、それが学術的に正しいかどうかなど全く関係ない。マスコミが煽ろうと煽らまいと日本人は決して戦わない。そもそも、新型コロナなど政府マターではなく、自己が決断し、行動すればいい。デンマークやイギリス、西欧諸国はすでに解決の入り口に立っている。デンマーク政府もデンマーク人も、本気でワクチンの有効性を信じているわけではない。ワクチンによる抗体が虚構の武器だと分かっていても、国民は正々堂々と戦う決意を示したのである。
正々堂々と戦わないのは、中国共産党と日本人だけである。
中国共産党と日本人は本当によく似ている。結局は我欲しかなく、真の対話がなく、問題の本質に向き合わず、臭いものには蓋をする。
一方は独裁、一方は逃避
共に、正々堂々と戦わない
日本や中国など東アジアでのウイルスは当初よりヨーロッパ型の株に対して、病原性は低く、圧倒的に有利な状況にありながら、ゾウリムシのように徹底的に逃げ惑ってしまった。当初よりこの国は、持続的に免疫を訓練しながら、密や近距離の大声での会話時の不織布マスクを徹底することにより、高用量の曝露は避けるも、アルコール消毒などの過度な感染防止は避けて、むしろ適量の自然曝露に関しては恐れずに、堂々と生活を送るべきであった。
この国では様々な意見が飛び交うが誰も戦わない。風邪だインフルエンザだ、寝ていれば治ると言っている人間が、ちゃっかりワクチンを接種ししている。風邪だと言いながらワクチンを接種する人間の神経が全く理解できない。風邪の予防でワクチンを打つなど聞いたことも見たこともない。そもそも、このワクチンには感染予防効果はないのだから。