〈市長小学校〉ースタンド3.0


私たちが予想する以上に、世界は大きな変動に向かって動き出している。私たちは、歴史的な時間を加速していかなければならない。もはや、世界のリーダーは機能してない。現代政党の退屈な議論につきあっている時間はない。私たちの時間性は両義的世界観の構成的プロセスへと移行し、未来からの観点から、先回りして来るべきものを把握し、囲んでいくことが重要なのである。

パラダイムの変化は、政治的、あるいは経済的な意思決定の仕組み(議会や市場)によって導かれるものではない、〝新たなパラダイムが現れ、その優位性を示し、次第に現行のパラダイムに取って代わっていくものなのだ。〟

人類再興のパラダイムシフトを呼び起こすためには、現代政治のその射程の「狭さ」への反動として、思想射程を拡大したムーブメントを展開していく必要がある。市長小学校は、芸術をスタティックな、シンボル的な、モニュメンタルな造形物として捉えるのをやめ、人間の動的なアクションのなかで考え、世界中で群発的に圧倒的なパラダイムシフトを呼び起こすことにある。この大きな力に対抗するのは、持続可能性を高めようとする個性豊かな人々で、唯一の共通点は、遠い未来を見据えているということだ。

世界各地の相互に無関係なエリアで群発的に発生する紛争や災害という謂れのない苦難に対して、無名無能の人々が国家や地理的概念を超えて同じ行動を取る。これから起きようとしているのは『スタンド』である。 今までのように問題の解決を国や行政の既存の仕組みに任せているだけでは進まない、一人一人が動くしかなく、「立ち上がれ」というのが全世界で起きているさまざまな人権や環境問題、そして、貧困、紛争、災害などの現象に通底するメッセージである。近代の立憲民主制では、市民たちが異なった価値観・世界観を持っていることが前提になっている。『スタンド』は、深いレベルでの一致を無理に目指すことはない。

時代を「解析」することでも「予測」することでもない、「形象」することなのだ。たしかに、社会の人々が共有しなければ、社会的な意味を紡ぎ出せない。 しかし、その共有は「果実」ではなく、時間性を超えた「種」のそれなのである。

つまり、一人一人の「スタンド」は単なるシーニュではなく、社会に介入することにより、その種は、突然に芽を出し、大きく変異する。

「スタンド」とは、個の「自律」と「覚悟」の概念だ。今後、世界中の感染地区紛争地区や被災地区で群発的に「スタンド」がわき起こる。

今後、パンデミックや自然災害、国際紛争に対しても人々の心の中に地球規模の意識が出現するであろう。その本質や大きさは今のところ分からないが、数年後には、世界は距離がなくなり、その新たな意識は、私たちに論理的な結論をもたらすだけでなく、他の人々のタスク(行動)を通じて、世界中で群発的に発生する。「スタンド」という運動は別に誰かが「そうしよう」と決めるわけでもないし、主導するような社会理論があったわけでもない。集団的な叡智が発動するときというのはそういうものである。

運動の中核は、科学と世界の首脳が同意するずっと前に、将来を見据えた行動を起こさなければならないと考えている無名の人々である

〈市長小学校〉は人と地球と社会の自立と共存をテーマに持続可能な家と地区の再構築を目的としたGEIJUTZEアプローチだ。そして、それは、民族や伝統的、地理的な境界を超えた共通の感性と理想を持っている人々の家とネットワーク多層な共同公共圏だとも言える。世界中のあらゆる国と地域において、独立した層における独立した形象、それがオルタナティブなセツルメント〈家〉である。

セツルメント〈家〉は、ただ人々が集まるスペースではない。現代の多くの人々は、社会の代案として公正なパブリックという場所に解放を求めている。世界中で、形式的な公共性から、実質的な公共性への転換が必要だと論議されてる。それが公共性のパラダイムシフトである。「地区の制度的核心をなすのは、自由な意思に基づく非国家的・非経済的な社会的紐帯であるとしている。

セツルメント〈家〉は、人と地球と社会の自立と共存をテーマを目的としたアプローチである。そして、それは民族や伝統的、地理的な境界を超えた共通の感性と理想を持っている人々の共同公共圏なのだ。セツルメント〈家〉は、世界中のあらゆる国と地域において、独立した層における独立した小さな基礎自治体〈ゲマインシャフト〉である。

世界が抱える様々な問題に通底するメッセージは、「テロや自然災害や貧困から人々の命を守る社会を創れ」ということだ。

人間の意識は、その成り立ちからして普遍という形式に依拠せざるを得ないのであり、現実の世界で遭遇する具体の奔流の中で、その成立の根拠である普遍を探し続けなければならない。セツルメント〈家〉は、国家に抗する〝共同体〟という意味ではなく、国家や行政区分の概念を超えた、現実態として、それぞれの地域やそこに住んでいる人々が、住んで生きられる状況をつくっていくパブリックとしての機能を果たす。

今後数年間で、パンデミックに対しても人々の心の中に地球規模の意識が出現するであろう。その本質や大きさは今のところ分からないが、数年後には、世界は距離がなくなり、その新たな意識は、私たちに論理的な結論をもたらすだけでなく、他の人々のタスク(行動)を通じて、世界中で群発的に発生する。「スタンド」という運動は別に誰かが「そうしよう」と決めるわけでもないし、主導するような社会理論があったわけでもない。集団的な叡智が発動するときというのはそういうものである。

運動の中核は、科学と世界の首脳が同意するずっと前に、将来を見据えた行動を起こさなければならないと考えている無名の人々だ。

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