〈市長小学校〉HECP/UBノートソサエティの目指すものとは
HECP/UBノートロジーの目指すものとは
ノートソサエティにおいて
エゴドキュメト個人文書のアーカイブ化を発議する。
人類が平和のアーカイブ記憶を共有するためには、「子供の立場」で物を言っていくしかない。例えそれが、Incomplete未熟であろうが、primitive素朴であろうが、重要なのはコ・アーカイビングのconsequences具象を示すことである。
コ・アーカイビングは、《過去における記憶》と《未来における希望と欲求》からなるもの。人びとの情緒は、本来、個人の願望(願い)と記憶(思い出)を基本的な構成要素とする意識現象である。本来、個人の願望と記憶を基本的な構成要素とする意識現象による活動の中で作成される情報であり、単に収集・保存するだけではなく、ある体系に基づいて編纂し、目的に沿って保存された情報の集合を指す。それは、記憶と欲求が混淆し、互いに浸潤し合い、後に新たな感情となって殺到する。
オルタナティブな平和への概念付与は、その存在を人びとの記憶にとどめておくことが可能なような、そういう公共的な記憶の空間アーカイブが要請される。
世界は、この意図的な概念付与をされた情緒を基軸とした、それぞれの「国家」、「国民」、「社会」を抗争史が存在し、その和平には、国家的な発想ではなく、地域の安全と繁栄についてその存在を人びとの記憶にとどめておく公共的な記憶の空間知覚が要請される。記憶の空間知覚と将来ビジョンの構築を視野に入れた、アーカイブに依拠することの可能なカノンとしての外交的・政治的提携関係に変容していていかなければ世界中の紛争が解決することはない。
人類が平和のアーカイブ記憶を共有するためには、「子供の立場」で物を言っていくしかない。例えそれが、Incomplete未熟であろうが、primitive素朴であろうが、重要なのはconsequences具象を示すことである。
世界の首脳もそう思っているはずである。戦争を止めるためには、ウクライナの、ロシアの、イスラエルの、パレスチナの子供たちが、抗争の歴史のアーカイブを共有し、その存在を人びとの記憶にとどめておくことが可能なような、そういう公共的な記憶の空間としてのアーカイブが要請される。もちろん、プーチンやトランプ、ネタニヤフらの現在の世界の首脳にそんなことを言っても通用しない。
コ・アーカイビングによるノートロジーで育った子どもたちが世界の首脳になることでしかこの問題は帰結しない。
少なくとも20〜30年間という時間性によるトポロジーな議論が必要になってくる。オルタナティブなノートソサエティは、従来、事実を確定する典拠に使ってきたアーカイブを、グローバルヒストリー近代経験において、平和と連帯が生まれる起点として捉え直すと同時に歴史学のアプローチとして取り組む。
自分の存在と世界の出来事が結びついていることを、今ほど鮮烈に実感できる時代はない。人と地球と社会の自立と共存をテーマにとした、持続可能なミニチュア地球都市のパブリックの構築は、決して「政治」の領域ではなく、「芸術」の領域である。そして、人種民族や伝統的な地理的な国境を超えて、共通の感性と理想を持っている人々の間でネットワークを作成する。アーカイブは、本来、個人の願望と記憶を基本的な構成要素とする意識現象による活動の記録。単に収集・保存するだけではなく、ある体系に基づいて編纂し、目的に沿って保存され、過去に失ってしまった対象への記憶と願望が混在した意識現象を思い出す時,さまざまな感情を呼び起こす。
芸術への要請は既成の概念を超えた、子供じみたプリミティブでドラスティックな発想のアーカイブのパラダイムを構築することであり、パラダイムの変化は、政治的、あるいは経済的な意思決定の仕組み(議会や市場)によって導かれるものではない、新たなパラダイムが現れ、その優位性を示し、次第に現行のパラダイムに取って代わっていくものである。