「難民といっしょにロボットを作る」②
②ロボット作りは面白い、「知能」や「意識」がなくても、
そこそこ、人の役に立つ。
リ
私たちの「生産」は決して才能のある人間の立派な芸術ではない。材料も身の回りにあるもの、廃材や廃家電を利用したもので、失敗をしても失うものなんてないのだから、過度に不安に思う必要もない。失敗しても壊れても作り直せるのが私たちの生産であり、GEIJUTZEだ。
[モノの5原則]
◎ 廃材廃品を利用している。
◎ 手仕事の一点モノである。
◎ 過度な技巧にはしらない。
◎ 所有するよろこびがある。
◎ 破損しても転用ができる。
「GEIJUTZE」を「労働」に昇華させる
反知性の人間や子供たちや障害者に、聞き手の「コンセプトは?」、「何をイメージ?」などの質問には答えられない。なぜなら、言ってる意味がわからないからだ。そんなことを身振り手振りで雄弁に後付けのレトリックを語ることのできるのは現代アーチストだけだ。
私たち生産者は作品が完成したときに発する言葉は、「できた」。や「やった」。ただ、それだけだ。
GEIJUTZEには、いちいち面白いことも気の利いたことも言う必要はどこにもない。松本人志やジャニーズ的な「表現」の世界とは全く「位相」が異なるのである。GEIJUTZEにとってなにより重要なのはその具体的形象とコモディティとしてのその価格である。つまり、イメージやプレゼンテーションではなく、コンセクエンスが重要なのである。
私たちの目指すGEIJUTZEは、労働であり、生産である。そして、「芸術」を日常的な「労働」に昇華させることが最大の命題としている。ここでは持続可能な「労働」が永遠の喜びとなる。
ロボットを作ったら、メルカリで売るもよし、保育所に寄贈するもよし。だったら、まずは、自宅の玄関に飾ってみよう。
「働く=お金を稼ぐ」ではない。まずは生産する。「人の役に立つ」という段階だけで十分やり遂げているのである。
この国では、あたかも現代アートがアール・ブリュットよりも高位にあるような錯覚の中で、技術偏重の意味のない教育サポートが行われている。しかし、残念ながら日本の社会においては、西欧のような現代アートのマーケットは将来に見渡しても存在することはない。
現代アートでは、高く売るためだったり、伝えたいメッセージだったり、意図的なものや恣意的なものがどこかに必ず入ってくる。予定調和的なコラボレーションにおいては、意図されたもの、作為的なものにしてしまうことが多いように思える。こういうとき一旦、。意図的に、スタートとゴールの部分をばっさりと切り取り、プロセスを自律的に浮かび上がらせそしてプロセスの中にある偶然性、即興性、意外性を受け止めることにより無意識に隠蔽している大切なものが浮上する。
現在の行政において行われている自立支援に向けてのアート活動の在り方は、極めて教条主義での形式的で硬直的な取り組みが続いている。現在展開されているアートを活かした障害者の就労支援に向けた取組みは、圏内に多く存在する優れた才能を発掘して、「現代アート」としての評価を行い、広く一般の方に作品を知ってもらうため、公募展や企画展などが中心となるが、それでは行政の支援を得るために、その活動内容は似たり寄ったりの表層的な形式主義の似たりよったりの活動にならざるを得ないのである。
表現者にとって、重要なのはカウンシルを目的とした作品や工作ではなく、日常的な「生産」とどう関わるかという、コモディティの存在である。
障害者の自立支援やインキュベーションを考えるとき、一点30万円の作品のアート作家を目指すことは、全て無謀であるとも悪いことだとも言えないが、GEIJUTZEの生産の目指すのは1日5000円の収入を持続可能にするコモディティの生産活動である。
GEIJUTZEにおける造形活動の終局目的は「コモディティ」の生産である。あらゆる表現のアッセンブリ〝断片〟であり、小芸術、小建築、小工芸の概念である。
「コモディティ」というコンテクストにおいては、熟練の匠の技による工芸も、子供の工作もGEIJUTZEの可能性においては全く同じ、だれでも勝つ可能性があるっていうのが、「コモディティ」の面白さなのである。
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