〈市長小学校〉ー「議員」とは何を代表し、一体何のためのコストなのか?
この小さな国で地方議員も合わせて3万人の議員など本当に必要なのか。
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現在、国会議員は衆議院で475人、参議院では242人存在する。 都道府県議会議員、市区町村議会議員合わせて、地方議員が3万人超もいる現状が、はたして妥当なのか、 という「質」の議論がまずは必要になってくる。そもそも、日本国中合わせても、それほどの膨大な数の優秀な人材が暇を持て余しているとは思えない。
日本は人数が多さはもちろんだが、衆議院と参議院の役割分担も不明確で無駄が多い。国会議員を1人雇うのにも、おカネがかかる。歳費、秘書の人件費、議会の運営費、政党助成金、選挙にかかるコスト……すべて合わせると、国会議員1人当たり年間1億円程度かかる。「量」の議論も大切だが、単なる議員数にフォーカスした議論ではなく、もっと本質的なことは、立法府の議員の役割・仕事を具体的に定義し、コストに見合う価値を出したか評価する、という「質」の議論が必要である。
本当に「身を切る」とは、「質」の議論に手を突っ込むことだ。「運用ルール」や、また、「政治資金規正法」など、いくらイジってもキリがない。資金という「利益」がある以上、無駄な「経費」はなくならないのである。ここは、報酬の費目を一元化し、その上で大幅な減額と引き換えに自由裁量を「議員」に委ねる方が現実的である。どうせなら給料を大幅に減らし、既存の「議員」の意見を薄めるくらい議員数を増やしてみるのも一案である。
日本国憲法は、第8章の第92条から第95条で「地方自治」について定めている。ただし、第92条には「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」と書いてある。つまり、都道府県や市町村は「地方公共団体」(地方における行政サービスを行なうことを国から認められた団体)であって、「地方自治体」(自治の権能を持つ団体)ではないのである。機能も権限も定かではない日本の地方議員は高給だ。都道府県議や大都市の市議の場合、報酬と政務活動費の合計が年間2000万円前後に達しているところも少なくない。意味がない上、議員活動の実態がパートタイム型(議会の会期中以外は何をしていてもよく、他の仕事を持っている議員も多い)であるにもかかわらず、だ。地方議員はすべて無給のボランティアにすることなどを憲法議論の入口にならなければならない。
連邦よりも地方が強く、地方のことはすべて地方が自分で決められるスイスの場合、日本の市町村にあたる2889のコミューンでは、住民の代表が無給で議員を務め、行政的な意思決定をしている。彼らは農民や職人や会社員や商店主などで昼間は普通に仕事をしている人たちだから、議会は平日の夜に開かれる。そこで決まったことに住民は必ず従わなければならない。文句は言えない。それが「コミューンの掟」なのである。
憲法第43条は、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と定め ている。つまり、国会議員は地域において選んだ人たちだけの代表ではなく「全国民の代表」になるのである。
私たちは「憲法典」以前にこの「議員」の質の問題を解決しないと全てが議論が絵に描いた餅になる。