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石巻市蛇田 高玉神社と曽波神山
蛇田小学校の校庭の南側にある「東雲寺」(とううんじ)と道路をはさみ、もう少し南にあるのが「高玉神社」(たかたま)です。
地域には馴染み深い東雲寺と高玉神社についてご紹介します。
曽波神山
蛇田小学校へ通う、子どもたちの通学路にある東雲寺と高玉神社。どちらも、江戸時代から続くお寺と神社ですが、当初の場所はここではありませんでした。
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どちらも、その前は「曽波神山」(そばのかみやま)にあったと言われており、後に現在地に移されました。
曽波神山は石巻赤十字病院の北東、曽波神大橋の北にある山です。
蛇田小の校歌にも登場する「曽波神山」ですが、蛇田小の学区外。しかし、むかしの蛇田村においては地域の人の信仰を集めた場所でした。
蛇田小校歌に登場
<一番>
そばのかみやま みどりの松に~♪
流れはめぐる きたかみの~♪
小学校の校歌にも登場する「曽波神山」です。学校から約1.8キロメートル、学区は隣の「向陽小学校の学区」ですが、校歌に登場するのは曽波神山が旧・蛇田村に含まれており、村の象徴となる信仰を集めた山だったためと考えられます。
蛇田村の村社として
現在は、建て替えられた真新しい、朱色の鳥居が山道入口に立っています。
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鳥居のすぐ裏には「村社 曽波神社」の碑があります。蛇田村の「村社」を指しています。
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曽波神大橋から曽波神山のアングル
愛宕山「東雲寺」
曽波神山から場所を移したのが、蛇田小近くの「東雲寺」です。山号は愛宕山(あたごさん)です。
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石巻市史によると、その起源は、むかし、天台宗第二祖「慈覚大師」の弟子が「地蔵」を曽波神山に安置し、中腹に小さな家(庵)を作り、数十年もの間、日々、布教につとめたそうです。
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東雲寺のはじまりは「円仁(慈覚大師)」の弟子が開きました
Jnn, CC BY 2.1 jp, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3021172による
のちの、江戸時代寛文8年(1668)2月(石巻市史)には、檀家も増え、手狭となったため、村の中央だった、現在の場所に寺院を移し、新築移転「三光院東雲寺」となりました。
当時、高玉神社のある場所は馬場だったと言われています。
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寺宝の「七条の袈裟」
かつて、牧山にあった長禅寺(ちょうぜんじ)とともに天台宗に属していました。しかし、明治の神仏分離の際に、長禅寺の「第16世存裕法印」が寺を零羊崎神社に譲り、東雲寺に移り、その時の法印着用の「七条の袈裟」は寺宝とされています。
日光御門主 梶井宮 上洛依供奉賜之 牧山十六世法印大阿(闍)梨存祐山門修法満願時文久二年戊冬十月当寺所備永仕物也
「第16世存裕法印」が日光御門主(東叡大王 - Wikipedia)「梶井宮法親王」に供奉(お供すること)を命じられ、京都に上ったときに、賜われた品物でとのこと。
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高玉神社
高玉神社は元々、曽波神山にあり、曽波明神(そばみょうじん)と呼ばれていました。
この明神は、平安時代の法令集「延喜式」(えんぎしき)に記されている石巻の古社「牡鹿十座」に位置づけられる由緒あるものです。
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明治7年(1874)に蛇田村の神社となり、明治42年(1909)12月には「曽波山・愛宕」「雷神・雷神」「高玉」が合わせられました。
祭神にならい新築
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社の側にあるのが「高玉神社新築落成記念碑」です。
記念碑によると、高玉神社に祀られている神様は「経津主神」(フツヌシノミコト)。祭神である経津主命は出雲の大国主命を説得して、その国土を高天原に献上させることに功があったという神様です。
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岳亭春信 - https://www.britishmuseum.org/collection/object/A_1937-0710-0-233, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=108376007による
口伝によると、今から約400年前、天正年間(1573年~1592年)に仙南の角田から行人(仏教を修行する人)が御神体を奉持して、蛇田の高屋敷(石巻市丸井戸)に祠堂を建立して祀ったと伝わっています。
それ以来、住民の信仰も厚く、心の拠り所として、家内安全、祈願成就の守護神として尊ばれていました。
明治5年、旧蛇田村村社列格として扱いを受け、明治25年には八幡神社と合祀、その後「羽黒山鳥屋神社」(@JinjaToya)の宮司が祭祀を掌ることとなりました。
その間、本殿拝殿の修復を重ねてきましたが、老朽化が著しく再建を検討していたところ、中埣二町内会集会所の建設用地として、境内地の一部の譲渡交渉が成立しその代金一千万円を基に氏子や、多数の寄進をもって、建築資金が整い再建の運びとなりました。
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高玉神社の境内は、すべり台やブランコもある広場です
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新築落成記念碑は裏にも「地域の人の名前が記載」されています。この神社がいかに地域の人から大切にされているかが、よく分かる記念碑です。
新築落成記念碑ができた、昭和61年(1986)には住宅地のなかにある神社でしたが、三陸自動車道へ通じる2車線の河南川尻線の開通後は神社周辺を通る必要もなくなり、地域外の人が目にする機会はあまりないかもしれません。
祀られている「経津主命」は、この10年で大きく変わった町並みをどう見ているのでしょうか。
参考文献
石巻まるごと歴史探訪 著:石垣宏など (2000年7月10日発行)
石巻市史第二巻 (昭和31年10月10日発行)
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