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あの機械はまだ動いていますか?

プロローグ

 「 会長、そろそろ出発しませんと、新幹線に乗り遅れます 」と応接室 兼会議室の大きなテーブルの端の席に座っていた総務課長の渡邊わたなべが諭すように、視線を私に向けて言った。

 私は渡邊わたなべの声を聞いて、壁にかけてある時計にチラッと視線を移したら

「 あら、長く喋っていたのね 」と自然に言葉が口から出た。

 応えるようなタイミングでテーブルの向こう側にいる取材に来た女性記者から
「 本日は、貴重なお時間をいただきましてありがとうございました。また、お話を聞かせていただけますか? その際は、あらためてご連絡を差し上げます 」

 とお礼の挨拶と次回の取材のお伺いがあった。

「 わかりました。こんな私の話でよければ、またお話ししますね 」
記者は席を立ち軽く会釈してドアへ向かった。私は渡邊わたなべと共に、この建屋の一階の玄関まで同行し、数分前から待機していたタクシーに彼女が乗って走り出し正門を出たところまで見送った。

 私は会長室に戻り、席に立て掛けてあったトートバックにiPadが入っていることを確認してキャスターバッグとトートバッグを持って部屋を出た。そして、玄関にちょうど良いタイミングで入ってきたタクシーに乗り込み約30分の距離にある新幹線の駅に向かって出発した。

 駅に着いてエスカレーターを上がり新幹線改札を通り通路の先のコーヒーショップでアイスコーヒーをテイクアウトで購入した。そのままホームヘ上がり新幹線・さくら号の窓側の指定席に座った。

 車両が動き出してアイスコーヒーを一口飲んで、「 ふぅ 」とひと息つく。

 トンネルが続く窓の外を眺めながら先ほど取材されて話した内容を思い出して

 「 色々なことがあったわね 」

 と窓に映った自分の姿を見てつぶやいた。


 続く



 私の名前は祁答院歩美けどういんあゆみ。父方の遠いご先祖様が、平成の市町村合併で無くなってしまったけど、鹿児島県薩摩郡かごしまけんさつまぐんにあった祁答院町けどういんちょうの郷士だったと昔、父に聞いたことがあります。とても珍しい苗字なので周りには覚えてもらいやすい反面、苗字を漢字で書ける人は少ないというインパクトのある名前です。

 私が会長を務める会社は、株式会社渋柿エンジニアリング。従業員数約200人。創業して28年が過ぎる中堅規模の会社です。主な生産品目は、食品会社や食品加工工場向けの生産装置。そして、非破壊検査の一つで超音波で内部の傷や欠陥の検査に使われる超音波探傷装置。その他に一品ものと言われるワンオフの機械を企画から設計、製作しています。

 この会社に転職して25年が過ぎました。前の会長が創業後数年経った頃に拾ってもらって今の私があります。

この物語はフィクションです。






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