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"自分は何者か"『ここは今から倫理です。』から読み解く俺たちの苦しみ

最近「自分は何者か」という言葉を目にしませんか?自分もキングコングの西野のブログを読んで改めて考えるようになりました。
そこで思い出したのが、今年ドラマ化も決定した雨瀬シオリ先生の『ここは今から倫理です』という漫画です。こちらの第八話が、自分が何者かという疑問を抱えた少年の話でした。

<この話のあらすじ>

本作品はオムニバス形式で構成されており、本話の主人公は山野亮太というこれといったものがない普通の男子高校生です。不幸はないが特徴もない、彼は大衆の中の一人でしかない自分について日々考え続けていました。そんな彼は学校の帰り道に赤信号にも関わらず道路に出て、交通事故に遭ってしまいます。
幸か不幸か、大事には至らず入院していたところ、倫理の教師である高柳がお見舞いに来たのでした。

<悩めない>

山野は一貫して「悩みはない」と主張していました。これは実害を伴わない至って普通の生活を送っているからであり、そもそも悩みとして認識出来ないからです。
彼は「普通」を拒む自分がおかしいと解釈し、悩めなかったのです。

<人格の理解>

山野は事故の瞬間を振り返り、赤信号なのに歩き出したのは普通から抜け出したい、一歩踏み出したいという意志の現れだと自覚します。そこで心の奥底にあった目立ちたいという願望に気付きました。
山野はあの時、周囲に埋もれる恐怖と戦い、はみ出すことを選んだのです。

<悩みながら生きる>

山野の話を聞いた高柳は、それは悩みだと教えます。そして悩んだ末に自分の行動理由を考え出したことが、自分という人間の理解に繋がったと伝えました。山野は悩むことをやめなかったおかげで人格の取得、つまり自分が何者であるかを自覚したのです。

<自分も人間>

人を理解するためには、まずその人についてよく考える必要があります。その対象が自分なら、自分についてよく考えなければなりません。
いくら考えても答えが出ない、悩み続けるのが苦しい、そんな時は倫理が助けてくれるかも。

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