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聖なる海とサンシャイン

海へ、突発的に行きたくなることがある。千葉の片貝海岸がベスト、無理なら人工ではない海。辛いことがあったとき、またはそこから立ち直りかけているときが多いが、なんでもないときにふと「あ、海行きたいな」と思う。
片貝海岸は幼少期にまだ海の家が乱立していた頃、夏になると決まって海水浴へ行った。大人になってからは流星群を見に行ったり、ただ海が見たくて行くことがあった。

生まれが千葉県なので海だらけといえば海だらけ。そのせいなのか?と思ったが、家族にも友人にもあまり共感されない。どこまでも続いていく水面と水平線、高い建物がなく見渡せる空、潮の匂い、フカフカしていて気を抜くと靴の中に入ってくる砂、今ここにいる自分たち以外いなくなってしまったのかもしれないという開放的なのに閉鎖的な空気。そんな空気を感じていると、思考が研ぎ澄まされるような感覚に陥る。日常のあれこれからいっとき開放されて、ただそこにいる感覚を味わえるというか。表現が大変難しいが、これが海からしか得られない栄養素、ということなのかもしれない。

そして幼少期から変わらない、海への入口を見ると、1日遊んで帰るときの車の中でも残る、海を漂う感覚を思い出す。海水浴をしたことがあれば経験したことがあると思うのだが、海流の中にいる感覚というのはしばらく身体に残るもので、海から出たあともなんだかゆらゆらしている感じがする。わたしはその感覚も好きだ。魂だけ、ずっと海にいるような。

もう海の家はなくなってしまった(県が海岸は県の所有地だから、海の家は不法占拠だということで立ち退きを求めたらしい)が、今でも面影をそこにみることができるくらい、幼少期の思い出が詰まった場所でもある。人工的なココナッツの香り、足の裏を焼く砂の熱、砂だらけのコインシャワー、まとわりつく水着、潮でバリバリになる髪の毛、それから海の家で食べるカレーやラーメンや焼きハマグリ。海の家の食事は、スキー場のそれとおなじで、簡素なのに他のどれより美味しく感じるという話はよく聞く。ある意味、ヨモツヘグイみたいなものなのかもしれない。幾度となく海の家で過ごした時間や、接種した栄養素に身体が染まって、それで定期的に海に帰りたくなるのか。

もう記憶がだいぶ薄くなってしまったが、幼少期はアトピーがあったので、海水がアトピーにいいなんて話を信じた両親は必ず夏には海水浴に何度も連れてきてくれた。本当に効果があったかはわからないが、アラフォーの今、アトピーの面影はなく、乾燥しやすくて困る程度の皮膚と暮らしている。そんな両親からの、数少ないわかりやすい愛を思い出すのも、海を懐かしく思い帰りたくなる一因なのかもしれない。

あの日に刺さったトゲを抜かなきゃ、とロビンが歌うあの歌も好きで今でもよく聞いている。もう戻れない、あの懐かしい夏は確かにトゲのように、わたしに優しく刺さっている。これは抜かないと未来はない、と彼は歌っているけれど、わたしはずっと刺さったままがいいなと思う。


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