桃山陶片の発掘
ずっと前からその店はあって…
でも、素人は入ってはいけない佇まい、骨董屋に特有のあの感じを決して気取らず自然にもっていた。
その日は、たまたま通り掛かると白髪の小柄な女性が2人、向き合って談笑していた。
店内に人がいるのを見るのは初めてだった。
周辺を歩いて、もう一度その店に行ってみた。
これまでとは違って、人が入っても良い場所だと知ったから。
"こんにちは見せてください"と声をかけて初めて中に入る。想像の通り、桃山時代の陶片がゴロゴロとしている。
小さな陶片。
これをどうする?と、いうほどのピース。
急須の注ぎ口だけ、取手だけ、其々が種分けされて並んでいるが、これは破片だ。
店の奥からさっき話をしていた女性の1人が、にこやかに出てきた。
初めは入り口付近の陶片について何でもない会話をする。狭い店内を見渡すと、ごく普通のキャビネットに資料館や美術館にあるような桃山の完品が並んでいる。
店主が"触りたい?"と、聞いてきた。
"いいんですか?"
当然、資料館では展示ケースに入っていて、触るなんて事は不可能だ。
店主の女性は鍵を取り出し、キャビネットを開けて慣れた手つきで、志野の向付けを出してくれた。その次は織部の向付け、さらに大きな志野の水差しも。
どれも手にすると想像より繊細で薄作りで軽い。
かなりの達者な人の作りとわかる。大振りの水差しの勢いが凄まじい。
何やら、その女性店主の亡くなられたご主人とその父親_先代が久々利周辺の発掘権利を購入し掘り出したものが店に並んでいると言う。
そして生活するために金継ぎをして骨董屋を維持してきたのだと。
先代のところには、荒川豊蔵、加藤唐九郎が若い頃、勉強に来ていたそうだ。先代の名前、何かの本に出ていた覚えがある。
当時、どうやって多治見本町から久々里に行き、どうやって発掘していたのだろう。
先代が発掘を始めたのは1930年代前後、
今のように車はない。今のように道は無い。
重機も無い。あったとしても使えない。
焼き物が割れてしまうから。
発掘で掘った穴は2階ほどの高さになったそうだ。
崩れてくる心配もあっただろう。広大な山に掘った穴の底にいる二人。
果てしない山の地面にどこから手をつけるのだろうか。
掘りながら、何か呼びかける声のようなもの、息づかいのようなものが、確かにあったのではないだろうか。
店内には未だ触れた事のない瀬戸黒の肩付きや織部黒の茶碗も並んでいた。
気づくと日が暮くれようとしていた。