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『共依存』(ショートショート)

 バスルームにある鏡で全身を見ながら、聡子は、今日もまた、痣が増えたな、と思った。夫の幸太が会社をリストラされてから半年、聡子は、毎日のように幸太から暴力を振るわれている。幸太は、酒に酔った勢いでとか、ギャンブルに負けた腹いせにとかではなく、ある種、冷静に暴力を振るってくるので、質が悪い。

 結婚当初は、真面目な夫であり、とりたてて目立つ要素はなかったが、聡子は、幸太のそういう控えめなところが好きだった。周囲からは、羨ましがられる夫ではなかったが、聡子にとっては、最高の夫だった。

 それが、半年前、幸太が急にリストラを告げられたことにより、一変する。控えめな性格ゆえなのか、感情をあまり表に出さなかった幸太は、これみよがしに、聡子に当たりまくる。やれ掃除が下手だの、やれ料理が不味いだの、やれセックスが下手だの。聡子は、腹立たしい気持ちを超えて、可哀想な男だな、と思っていた。


 「どうしてそんな男と、一緒にいるの? なんで別れないの?」

 目の前にいる由紀子が、コーヒーカップに付いた口紅を手で拭いながら、聡子にこう言った。由紀子は、小学校時代からの幼馴染であり、結婚してからも、よくこうしてカフェで会ったりしている。由紀子は独身であるが、仕事と遊びを上手く両立しており、毎日楽しそうに過ごしている様子だ。

 それにしても、由紀子のこのセリフ、ここ半年間で、何人の人に言われただろう。実家の両親、妹、カウンセリングの先生。その度に、聡子は、今だけだから、ちゃんと仕事が見つかれば元に戻るから、とやり過ごしている。大丈夫、今だけだ、こんな生活は。

 しかし、幸太は、仕事を探している様子はない。毎日、何をするでもなく、自宅に引きこもっている。なまじ有名な企業に勤めていて、平均以上の収入を得ていたせいか、仕事を選り好みしている。働こうと思えば、コンビニの店員や警備員など、働き口はあるのに、プライドが邪魔しているのか、そんな仕事は眼中にない様子だ。今はなんとか、使う用途がないので貯めていた幸太の貯金と、結婚する前に働いて貯めていた聡子の貯金とで、なんとか暮らせている。だけど、その貯金も、もう底をつきそうな状況だ。


 なぜ、こんな無気力な暴力夫と別れないのか、聡子も自問してみる。幸いなことに、聡子と幸太との間に子どもはいない。なので、さっさとこんな男とは縁を切り、由紀子のように、毎日人生を楽しく過ごせれば、どんなにハッピーだろう。

 だけど、地味で異性にモテたことのない幸太にとって、聡子は唯一無二の存在だった。現に、付き合い始めた頃、35歳にもなって初めて付き合った女性が聡子だと、幸太から打ち明けられた時には、かなり驚いたが、悪い気はしなかった。むしろ、こういうタイプの人は、自分のことを大切にしてくれるだろうと思い、結婚してから専業主婦となり、身も心も幸太に尽くしてきた。だから、暴力を振るおうが、働かなかろうが、周囲の声に流されて、簡単に別れられない。いや、別れられないというよりも、別れたくないという感情なのかもしれない。幸太にとって聡子は必要な存在であり、聡子にとっても、幸太は自分の人生に必要な存在なのである。


 この後、由紀子は用事があるらしいので、一緒にカフェを出てから、そのまま由紀子と別れた。そういえば、幸太はハンバーグが大好物だったなと思い、聡子はスーパーに寄ってから帰ることにした。


〈終〉

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