05 女の海溝 トネ・ミルンの青春 森本貞子 【2.とねの誕生】
■願乗寺川竣工の日に生まれたとね
『万延元年(1860)十一月十五日に私は生まれました。その日は、前年父の掘削した願乗寺川の竣工の日で、父はこの縁を持って生まれた私をことのほか溺愛した』ということです。後々、この願乗寺川掘削は様々な意味を持つことになるのですが、ここではそういったことがあるということに留めておきたいと思います。
■夷人医者が命の恩人
この章で記憶しておきたいのは幼少時、病弱であったとねがアメリカ人医師の処方した白い粉薬で一命をとりとめ、ロシヤ人医師から眼病の治療を受けたという『夷人医者の想い出』です。それは『丁寧に洗顔し、薬を点じてくれました。ときおり天眼鏡のようなものでじいっと私の目を覗き見るときの、透き通ったサファイア色の目の輝き』や『日本人医師が見放した子を救ってくれたのは“青い目の医者”だった、とのこそばゆい思いは、成長したのちまでも私の脳裏を去ることはありませんでした。』と語られます。後年、英語を熱心に学ぶとめですが、この幼少時の外国人医師による手厚い治療が英語を学ぶことの動機のひとつになったとも言えそうです。また『江戸で安政の大獄が行われていた時期、箱館では夷人たちと、このように睦み合っていた』とのくだりには歴史の表側で通り一遍に伝わる通説(国家間の関係)とは異なる一般市民同士の交わりが確かに存在していたことを教えてくれます。