09 女の海溝 トネ・ミルンの青春 森本貞子 【6.箱舘の女たち】
とねが幼き頃に見た周囲の女たちが描かれます。箱館女(人)の気質が作り上げられる様々な当時の状況なども前章までの内容を受けつつ、さらに補足される形で語られていきます。
■手まり歌をめぐる海溝
冒頭『遠く他行する男たちの多いこの街の女の心を、よく表して』いると紹介される『てまり歌』をめぐって、とね(実際は筆者ですが)は自らを『私たち箱舘の女』と称する一方で母については『内地生まれ』と括り、自らと対峙する位置において語ります。母子ながら『内地生まれの母』と『箱館生まれの娘』との間にある線が引かれていることが暗示されているように思えます。手まり歌を口にする、その姿に対して『母は眉根に皺を寄せていました。女児はやはり、おっとりおしとやかに育てなければ、といった想いが母には根強かったためでしょう。』と、とねは振り返ります。幼き娘が口ずさむ手まり歌、その様子をいぶかしく感じる母との間には、とねが子どもゆえ、歌の意味を解さない無邪気さゆえ、であることを差し引いても、埋めがたい溝が生じ始める兆しを感じずにはいられません。この母娘間の海溝は今回の再読であらためて着目した重要事項のひとつとしてメモしておこうと思います。また全体の振り返りでも再度この切り口から掘り下げをしたいと思います。
■家族制度から離れた根なし草のような家族
労働の担い手としての『街の女たち』の様が描かれていきます。その中で内地とは異なる<元祖・核家族>とも呼べそうな『この街の人々の情況』が伝えられます。『女であっても豊漁の時期にはいくらでも働き口はあるとはいえ、内地の家族集団から離れて、夫婦のみの家族の多いこの街では、子を預けねば働くことさえままならぬのです。(中略)家族制度から離れた根なし草のような家族。』こういった背景のもと、巻き起こる様々な男女間の出来事を幼いながらも目にして(察して)とねは成長していきます。それらがとねの人間形成に影響がない筈がありません。なお、この話題と関連して、とねに影響を与えたであろう重要な出来事は次章で紹介されることになります。『この街の人々の情況』として用いられている『当時の英字新聞、ジャパン・メイルの記者が、英領事館の貿易日報に』記した一文があまりにも端的に過ぎるので最後に引用しておきたいと思います。『箱舘という港街は、善人はまずます善人に、悪人はますます悪人になる土地である。なぜなら、ここに住む住人が頼れるのは、まったく自分自身をおいて、他にないからである』
■渡島半島という呼び名の由来
最後は別の話題ですが、備忘録として渡島半島呼び名の由来についての記述を抜き書きしておきます。『男たちもまた、弁才船に乗って危険な荒海を越え、ようやく辿り着いたとの思いが強いからこそ、この蝦夷地の南の半島を“渡島半島”といった。しかも当時は、蝦夷地はまだ殆ど未開の地。箱舘を、さながら島のように感じたのも無理からぬことです。北の海に生死をゆだねて、豊漁を土産に帰港するやん衆たち、男衆は、同じ船に陸恋しさ、女恋しさの心を満載して箱舘に帰りつくのです。』