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伴走者、種を撒いて一旦、前へ

北海学園大学硬式野球部から埼玉西武ライオンズへ入団が決まった加藤拓光さんについての文章です。惜別と壮行の気持ちを込めています。

球場でいつも気さくに声を掛けてくださった加藤さんがいなくなるのは寂しい気持ちもありますが、一方で、すごい世界に進まれるんだなと純粋に驚いています。

加藤さんが埼玉で元気に活躍されること、そして、約束を交わした選手達との別れが「短いお別れ」となることを祈って。


◇選手時代=データアナリスト以前

野球はもとより日常生活にも支障が及ぶ病気で選手としてプレーすることを諦めざるを得なかった加藤拓光(以下加藤)。選手として野球に取り組むことができたのは「高校1年の秋まで」だったと言う。野球部に籍を残し体調と相談をしながらチームのサポートを続け「3年夏には戻れるように・・・」との想いも叶うことはなかった。

元々、描いていた将来像は、教員さらには中学か高校の指導者。その中で「高校の指導者になるならば、選手として大学までやるべきだっていう風に自分の中で思っていたので、 当初は大学までやりたいと思っていました」と言う。しかし、実際には、大学はおろかそのはるか手前でプレーすることを諦めざるをえなかった。無念であったと思う。

記録員として迎えた最後の夏。加藤のいた札幌旭丘は恵庭北に0-1で初戦敗退。記録を紐解くと、この試合は札幌支部予選、開幕日の第1試合に行われている。選手としてグラウンドに立つことを早々に断念せさるを得なかった加藤だが、皮肉にも高校野球最後の夏の終わりも早かった。

◇データアナリスト誕生

一浪を経て北海学園大学へ入学。小学校時代に在籍していた緑丘ホーマーズでコーチを務めながらも、北海学園大学硬式野球部との接触は一切なく過ごしていたという。真駒内シニア時代の同期だった稲童丸淳(現航空自衛隊千歳)を見に行くといった動機で「年に1回くらい、球場へ足を運ぶ」程度だったという。

転機となったのは、2022年1月19日に北海学園大学硬式野球部ホームページに掲出されたデータアナリスト募集の告知。この告知に加藤が反応。データアナリスト加藤拓光が誕生することになる。我々外部に見える形で残る資料としては2022年秋季リーグ戦のパンフレット。「副務兼学生アナリスト」として加藤の名前が掲載されている。

ここで加藤がアナリストとして登場する前年2021年の北海学園大学の状況を振り返っておこう。春にリーグ優勝、秋は2位に終わるも、道都・東海の二強が築いていた牙城に風穴を開け、古豪復活の号砲を打ち上げた年にあたる。

迎える2022年。号砲の打ち上げに成功した主力選手の多くが抜けることもあり、チームとしては曲がり角を迎えていた。記憶に間違いがなければ、この時期に島崎監督からも「我慢のシーズン」といった言葉が出ていた筈。

一方、この後チームの中心に食い込んでくるプロスペクト軍団が加藤の<同期>として入部してきたのが2022年。この<同期>との出会いがこの後の加藤の進む道にも小さくない影響を及ぼしていくことになる。

以降、加藤が在籍した間の北海学園大学の戦績は次の通り。
2022年春は4位(4勝7敗1分)、秋は2位(5勝4敗1分)。2023年春は期するところがあったが「空回った」シーズンとなって4位(4勝6敗)。迎えた秋は7勝3敗で優勝。神宮代表決定戦では東農大北海道オホーツクに敗れ全国へ駒を進めることはできず。このやり返しは残るメンバーへの宿題となった。

◇アナリストとしての素養

チーム合流当初は選手とも互いに手探りであったが、徐々に関係が作られていったという。関係が作られる要因は素朴に「勝ちたい」「強くなりたい」という想いが加藤と選手の間で合致を見たという点に尽きると思う。上昇を始めたチームに新たに加わった者同士が、チームとしても、個人としても更に上を目指して行こうという想いが交わり始める。

関係のベースになったのは、成就することがなかった<選手加藤>の想いであると思う。自身がとことんプレーすることが叶わなかったからこそ、グラウンドに立つ選手を全力でサポートする。そして勝ち切る。そして、このベースの上に<アナリスト加藤>としての様々な専門性が加わる。さらには、一歩引いたところから全体を俯瞰する視点や思考など、自身の置かれた境遇を糧として身に着けたと思われる素養も関係構築には大きく役立っていたのではないか。当事者でありながら非当事者的に客観的に物事を見抜く力など、時には相反しそうな幾つかの要素をバランス良く共存させているのが<アナリスト加藤>にしかない強み、持ち味であったように感じている。

現在(北海学園大学)の加藤の名刺肩書はデータアナリストとなっている。データと聞くと無味乾燥、無慈悲で冷たい数字といったイメージを安直に想い浮かべてしまうが、その言葉の意味を改めて辞書にあたると「判断・結論の根拠となる資料」といった文言が。データは答えではなく、答えを導く為の材料でしかないとも読める。加藤と工藤泰己が覗き込むタブレット端末が示すデータも勿論それはそれで重要で意味のあるデータであるとは思うが、一方でそれはひとつのパフォーマンスをある側面から切り取った単なる数字ともいえる。数字を意味ある情報に変換して届く言葉や目標に置き換え、行動を促す、加藤の北海学園大学時代の取り組みは概ねそういったものであったのではないかと推測している。加藤の言葉を借りると「思考の整理、努力の方向性を一緒に考える」ということだ。イメージとして重なるのが、箱根駅伝の給水係、前へ進もうとする選手をサポートする伴走者としての姿が浮かび上がってくる。

◇バイオメカニストへ

さて、加藤は入部時に既に4年生であり、2022年を終えた時点で、進路を考えなくてはならない立場にあった。しかし、2023年を迎える時点で<同期>と共に大学に残ることも頭の片隅にあったという。「できることなら、あと3年いたかった」つまり「同期がプロ行くっていうところまで見たかった」ということである。現実的には1年の猶予に留めた上で、<同期>との再合流の幾つかの進路を模索することになる。そういった流れの中で自身の埼玉西武ライオンズ入団が決定。本来は伴走者であり、むしろ、後方から見守る立場にいる加藤がひとまずは一歩前へ出る格好に~バイオメカニストとして~なったわけである。

◇種の芽吹きを待つ

加藤が撒いた種が、来春以降どのように芽吹いてくるのか。直接的にはチームとしての北海学園大学、そして<同期>を始め各選手達がどのように変化と成長を遂げるか。その影響は間接的にであれ学園を迎え撃つ他の5チームにも及ぶであろう。その様子を忙しくグラウンドを駆け回りながらも加藤はきっと見守ってくれる筈だ。<同期>との約束が果たされる日を待ちながら。

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