11 女の海溝 トネ・ミルンの青春 森本貞子 【8.大政奉還】

8章以降、9章榎本脱藩軍北上、10章イギリス軍艦と大政奉還から箱舘戦争終結までが辿られていきます。とはいえ、あくまでも視点は「とね」のそれですから、大きな時代のうねりの中で翻弄される箱舘、そしてそこに住まう人々の不安や葛藤が中心に綴られていきます。特にこの8章では『政情には関わりのない、市井の事件を語らずにはいられないのです。(中略)少女だった私の心に強烈なショックを与えたあの事件を“女”なればこそ語らずにいられないのです。』との断りを枕詞として、とある事件が語られていきます。それは『私に“あるひとつの決意”をさせるきっかけになったほどの“女の哀しさ”を心に刻みつけられた』ものであったとの言葉が添えられます。

■おかね・阿蘭事件

その事件とは『山之上遊女屋から“金三十両”で抱えられ』て清国人・阿蘭の『お妾奉公』をしていたおかねが、阿蘭からのたび重なる日々のせっかん*に耐えられず、偶然知り合っていたプロシャ人のフリモレーに助けを求める格好で家出を試みるのですが、運悪く阿蘭に見つかり、乱暴を受けている場面をとねが偶然目撃するという一件です。その後、おかねと阿蘭の件は外国局役人の仲立ちもあり、おかねがフリモレー方で暮らすことで解決に向かいます。

*『清国人は女を馬や牛とでも思っているのでしょうか。気に入らぬと、すぐ手を挙げるのです。気難しく、ろくに食べるものの食べさせてくれぬ日々でしたから、生きた心地がしませんでした』

■とねにもたらされた観照

一方のとねは『寺に集まる女たちはみなほっと溜息をつき、元気なおあささんが、「夷人さんのほうが日本の男たちより女をでえじにしてくれるがや、夷人の男がええなア」といえば、女たちは口を揃えて、「そだそだ、おらだば亭主さぶたれても、どこさもいぐどこねよ(いくところがないよ)」語り合う女たちの話を聞きながら、私もまた、身近に知り合うこの街の男たち、ことに漁場の男たちの、ささいな物事にも罵声と鉄拳がとぶ手荒さが、しきりに気になってならない年頃になっていたのでした。私は女の哀しさが骨身にこたえ、なんとかして新たな女の生きる道はないものか、と思いはじめるようになっていました。』との観照に至ります。

時代が時代と言ってしまえば、それまでですが、おかね・阿蘭の一件にまず驚かされます。そして、この事件に遭遇したときのとねは9歳の少女。『十五、六でもう嫁ぐのが当たり前の時代だっただけに、まだ九歳とはいえ、男女のことにはかなり敏感になっていたのです。』と語られてはいますが、このとねの感覚が当時の女性として一般的なものであったのか、あるいは、とね固有のものであったのか、興味深くはあります。いずれにしてもこの8章で語られたエピソード、そして、とねにもたらされた観照が、後の開拓使仮学校女学校への入学、さらにはジョン・ミルンとの出会いに連なる伏線となっていることは申すまでもないでしょう。

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