13 女の海溝 トネ・ミルンの青春 森本貞子 【10.イギリス軍艦】

■官軍箱舘攻略開始

『官軍側は会議を重ねて、箱舘脱藩軍攻略の作戦を練りました。緒戦で勝利することは、将兵に与える影響が大きいうえ、箱舘の街人たちへの官軍への信頼を勝ちとることになり、御維新達成への心理的な効果も大きいことを考慮し、まず江差を奪還して拠点としてから、箱舘攻略へと拡大することに決定し、四月九日、津軽海峡を北上、乙部に上陸を開始』『乙部から上陸した官軍は苦戦しながらも進撃』『江刺、松前が官軍に奪われた、という敗報が五稜郭に入ったのは四月十八日』と経過が綴られます。「箱舘の街人たちへの官軍への信頼を勝ちとることになり」というくだりが興味深いです。官軍と脱藩軍が街人から権力主体としての承認を得るための戦いを行っているように読めるからです。街人になりかわって、街人の心の内を想像するならば、日々の暮らしが乱されることさえなければ、権力主体は究極、どちらでも良いわけであって、ここでもまた、権力主体を争う戦いと一般市民の暮らしとの埋めがたい大きな隔たりを感じてしまいます。

■戦火を逃れるべくイギリス軍艦へ避難

『箱舘山へ避難命令がでて、寺と山との間を往復する日が数日続いたある朝』とねの母の体調に異変が生じます。この異変は後に生まれてくるとねの妹りうを身籠ったことによるつわりなのですが、街での戦が始まってしまってからでは、山へ逃げ込むこともできなくなることをとねは案じます。しかし、父、兄ともなすすべなく、兄たちは『「おとね、父上の立場では檀家の者たちを見離したまま、寺の家族だけを逃げのびさせることは許さないのだろう」』と。とねは納得できません。『「だって、船持ってる人は、尾山屋の内儀みたいに内地さ引揚げちまってるし、毎日毎日、夷人船で逃げだしてる人がいるっていうのに、母さんだけ、寝たままにしとくわけにはいかないわよ」』とはいえ『内地へ帰郷できる幸いな人は少なく、むしろ国許に永遠の別れを告げて海を渡った人ばかりなのです。父も母も故郷がないも同然でした。』という事実が厳然とあります。内地と内地へ渡る船こそが命綱であるかのようです。また、母の苦しむ姿を前にしたときの、父と兄たち男性ととねの反応の違いも、興味深いです。そして、当時の状況としてやむをえなかったとはいえ、この身近な男性のある意味無為無策な姿と、外国人男性が実際的な解決手段を持ち得ていたという違いがとねに与えた印象が、後にとねとミルンとの結びつきにも、連なっていきます。『憤怒の思いがこみあげ』とねはキャプテン・ブラキストンの元へ走ります。『「母さんば助けて!工合悪くて起きられないの。このまま街が戦になって、火でも付けられて大火になったらどうしようもないもの。キャプテンお願い、おそのさんのいる船に母さんだけでも連れていって!」』と。こうして、とねの母と母に付き添う形で、とねらは箱館港沖合に停泊するイギリス軍艦へ避難をすることになります。

■箱舘戦争の終結と「とねにとっての箱舘戦争」

『弁天砲台は、十一日の官軍総攻撃以来五日間、孤立の状態でしたが官軍艦砲射撃と箱舘山山頂からの挟撃で、弾薬と食料の欠乏がひどく、五月十五日ついに降伏。もはや、旧幕軍の運命も長くはない、と死を覚悟した榎本は、オランダ書二冊を、官軍黒田参謀に送り届けました。(中略)異国から入手したこの二冊が、当時の日本でどれほど貴重であったか(中略)敵味方に分かれているとはいえ、日本という国を思うことは同じだ、という榎本の心情が伝わってくるようです。五月十六日、千代ケ台陣屋降伏、その夜五稜郭では、徹底抗戦を唱えたものの、榎本も覚悟を決めたようです。黒田参謀から贈られた酒にも酔えず、将兵たちは銘々筆をとって、辞世を書きはじめました。海律全書の礼にと官軍の黒田から酒が贈られたとはなんと悠長なエピソードでしょう。榎本以下首脳陣たちは、その夜、夜更けまで語り合い、その結果、ついに「降伏」と決定するに到ったのです。かくて箱舘戦争は榎本軍の江戸、品川脱出から、一年足らずして、官軍勝利のうちに終結の幕を降ろし、明治維新は達成されました。しかし、私にとっての箱舘戦争が、開拓使仮女学校就学への時代へと引き継がれ、再び旧幕軍将士たちとまみえることになろうとは、その当時、考えてもみないことでした。

以降、幾つかの挿話を経て、章が閉じられます。章のタイトルである「イギリス軍艦」から離れた挿話も混ざっていることから、次章以降を読み進める中で、関連性のある箇所にて、適宜抜き書きとあわせて紹介をしたいと思います。

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