見出し画像

サツロクをキロクすること_2

「東京六大学公式記録室」についての記事(日刊スポーツ、7月13日)を見た。WEBサイトには「神宮を照らす”記録”という宝物」とある。2025年秋に100周年を迎えるにあたり今年(2022年4月)から始まった取り組みとのこと。
https://www.nikkansports.com/baseball/news/202207120001258.html

記録というのは日記と同じだ。さぼっていたら、あっという間に日々に置き去りにされてしまう。庭の雑草駆除に「(控えめに表現して)半歩」遅れる怠け者と同じ。だから、試合ごとに休まず、記録を残していくことしか方法はない。

さて、その「東京六大学公式記録室」には『近年の記録から掲載されており、現在は00年以降がチェックできる。1925年(大14)の開幕から第2次世界大戦中までの記録は連盟に残っていないため、今後、各大学の部誌などから情報を集約していく予定』とのこと。たどり直す年月の長さに伝統あるリーグの重みを感じる。そして、たどり直しには莫大な労力を要するのだろうということも容易に想像ができる。けれども、莫大な労力をかけてでも記録を整理し、残しておくことの大切さ、そのことも、同時に想像ができる。『ファンの方々や、当時の試合を応援していた方の記憶がよみがえるようなものになれば』との想いが語られているが、まったくその通りだと思う。

記録は記憶の貯蔵庫を開くための鍵だ。貯蔵庫を毎日訪れる人はいないかもしれない。けれども、ふとしたきっかけで、誰かが何かを確かめにやってくることは考えられる。その意味で、記録を残しておくことは、その未来の誰かのために、記憶の貯蔵庫の合鍵を用意する作業のようにも思える。日々記録を残していくことは、重労働とまではいわないが、それなりに手数が掛かる作業だ。そして、過去にさかのぼって、記録をたどり直すことは、より大変な作業にはなる。けれども、その作業によってもたされる恩恵はとても大きい。

太陽から地球に光が届くまでには約8分の時間がかかるという。つまり、僕らがこの地上で太陽から受け取っている恩恵~明るく暖かな日差しは~は約8分前に太陽で発せられた光なのだ。記録を残すということは、太陽から発せられた光や熱が8分という時間差を経て、地上に届けられていることとどこか似ている。過去から届けられた光が、進むべき道を照らし、忘れかけていた気持ちを温め直してくれるように。「神宮を照らす”記録”という宝物」にはそんな意味合いも含まれているのかもしれない。札六的に言い換えるならば「円山にあの日吹いていた風の記憶」みたいな感じだろうか。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?