それ以来私は、楽しんで仕事をすることを編集者であり記者である自分の信条ににした。書くことは孤独な作業だから、自分で自分を元気づけなければならない。書いているあいだに何か愉快なことを思いついたら、自分を面白がらせるためにそれを記事のなかに盛り込んだ。自分が面白ければ、ほかにも面白いと思ってくれる人がいるがずで、一日の仕事としては悪くないと思えた。
(中略)イェール大学で教えていたとき、学生に話をしてもらおうと、S・Jペレルマンを招いたことがある。学生のひとりが彼にこんな質問をした。「ユーモア作家になるためには何が必要でしょう?」ペレルマンは答えた。「大胆さと活力と陽気さだね、一番大切なのは、大胆さだ」。続いて、「作者の良い気分が読者に伝わらなければならない」と言った。その言葉が、筒花火のように私の頭のなかで炸裂した。それだけで、楽しんで仕事をすることの意味が言い尽くされていた。そのあと、ペレルマンはこう付け加えた。「たとえ良い気分でなかったとしてもね」。その言葉もショックだった。なぜなら、ペレルマンの人生は、並大抵でない憂鬱と苦悩を伴うものだったからだ。それでも彼は毎日タイプライターに向かって、言葉にダンスを踊らせた。良い気分でないときがあっても不思議はない。彼は無理にでも良い気分を引き出していた。
仕事をするときの作家は自分に活をいれなければならない。それは、俳優でもダンサーでも画家でもミュージシャンでも変わりない。なかには読者を巻きこむエネルギーの流れがあまりにも激しいの、仕事を始めたとたんに言葉が次々と湧いてくるにちがいないと思いたくなる作家もいる。(中略)彼らが毎朝、スイッチを入れるのにどれほど苦労しているか、誰ひとりも考えもしない。
あなたもスイッチを入れなければならない。代わりにやってくれる人はいないのだから。