04 女の海溝 トネ・ミルンの青春 森本貞子 【1.帰郷】
■懐かしい想い出に満ちた故里の函館山
『大正5(1920)年三月、二十七年ぶりの津軽海峡は薄いGASのヴェールに包まれ、銀色のビーズ玉のような粉雪がしきりに降りそそいでいました。(中略)故里の山は、砂糖菓子のような白い雪に覆われ、中腹からその裾にかけて、枯葉色の絶壁が海にそそり立ち、私が函館山と別れを告げた、明治の昔と少しも変わりない冬姿でした。夫のジョンとともに日本を離れ、英国に渡ったのは明治二十八(1895)年。懐かしい想い出に満ちた故里の函館山が、いま、まぢかなのです。(中略)船室のソファーを窓ぎわによせてもらい、丸窓にぴったりと顔をよせて、しだいに近づく山に目をすえていました。五十年あまりの年月をふり返ってみても、このときほど複雑な想いにとらわれたことはありませんでした。いつか涙が頬を伝わってきました。』
複雑な想いとは?
■夫に永遠の別れを告げての帰国
『懐かしさと嬉しさと、いいようのない哀しみがからみあって私の胸をしめつけるのです。遺髪と歯骨を胸に持ち帰ったとはいえ、遙かな英国ワイト島のニューポート近く、バートンのセントポール寺院の墓地の夫に、永遠の別れを告げての帰国だったのです。』
■幼き日に聞いたブラキストンの話、ブラキストンなしでは結ばれなかったトネとミルン
『私は遠い昔、まだほんのもの心ついた幼い日、キャプテン・ブラキストンから聞いた話を思い浮かべていました。遥かな英国から上海を経て、まるでウルトラマリンを解かしたような津軽海峡を通り抜け、初めて箱館にやってきた朝、船の上から眺めたこの街は、オレンジ色の朝陽に輝いていて、溜息をつくほど明媚な美しさだった、といったのを。港を護るように、海上に突き出た緑の山と、山裾の広やかな寺の屋根が堂々と陽光に照り映える景色と、海峡を吹き抜けて涼やかにわたる風に「この港街こそ、きっと希望を叶えてくれるに違いない。ここに滞在することにしよう」と心に決めたものだった、と話してくれたことがあったのを私はどうして忘れることができましょう。(中略)キャプテン・ブラキストンなくして、私は夫のジョン・ミルンと結ばれはしなかったでしょう。』
このようにして私(トネ)は『船がいま、まさに私を生み育ててくれた港街、函館に近づいていこうとしているのです。』と帰郷を果たすことになります。近くづく街並みをみつめながら、船上からは見ることができない位置にあることを知りつくしながら、懐かしさのあまり、自身の生家である『西別院という、西本願寺函館別院、願成寺』を探そうとする場面でこの章は閉じられます。この場面を引き取る形で次章以降、私(トネ)の回想が綴られていきます。