ウシガエルの子守歌
杉山では陽が沈めば辺りは暗くなり、人の歩く姿もなくなる。
渥美線の線路沿いの道などは防犯灯が ぽつりぽつり と寂しく灯っているが、灯っている後ろは真っ暗闇の田んぼが広がっている。
眠らない町東京。用事で東京へ出かけても夜出歩いた事がないのでよくわからない。夜の六本木。車の往来ばかりで人の姿の見えない昼間の六本木しか見た事がないので話に聞く夜の六本木がどんな風なのか知らない。一体いつから東京は眠らない街になったのか知らないが、妹が東京の叔母のアパ-トに下宿していた40年前、妹の下宿に泊めてもらったことがあった。真夏のクーラーの無い2階の部屋は暑くて窓を開けるが、一晩中バスや車の音が止む事がなく、暑さと騒音と振動でほとんど眠ることができなかった。
叔母たちはこんなところで生活してるんだ。
眠れない街東京。
その叔母たちが杉山の我が家に来ると、夏の夜、網戸に止まる蛍を眺め、庭の虫の声に「杉山はいいわねぇ、静かで」と嬉しそうに言うが、翌朝梅干しの種のような眼をして「うるさすぎて眠れなかった」とウシガエルの声に愚痴をこぼす。
私には七股池のウシガエルの声は波音のオルゴール並みに心地いいが、叔母たちにとっては車やバスの音が子守歌代わりになるのかもしれない。
とにかく杉山町の夜は静かだ。
冬の凛とした冷気には妖気さえ漂う程の深い緊張感に包まれる。
ときにがたんぴしゃん、どたんばたん、ちゃぶ台がひっくり返る音や、茶碗の割れる音、あるいは野太い怒声に黄色い罵声が宵闇にこだまし、もくもくと黒い入道雲のような輪郭をつくった七股池の里山に染み入る。
薄暗がりに浮かぶ住宅地の陰に瞬く灯火と風の音が混ざり合い哀愁を帯びた浅い緊張感にとって代わる。
そして風が止まった束の間、思い出したように鴨の一声が真っ暗な七股池に響き、やがて闇と静寂が訪れ、再び妖気漂う深い緊張感に包まれる。
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