見出し画像

自治会の話 やらない後悔

平成29年12月に御園第一区の自治会長に選出された。
「選出」という書き方をしたが誰も自治会の役員などやりたくない。平成18年に自治会の前身「総代会」で副総代を務めたが、その時、次に番が回ってきたときは総代をやらなければならないだろうなという覚悟は既にできていた。

年が明けて平成30年2月18日、校区集会所において29年度と30年度の各町自治会長14名が集まり校区自治会の新三役(会長、副会長、会計)の選出会議が行われた。会議は2時間半に及んだ。まったく知らない顔ぶればかり。校区自治会長の選出に時間がかかる。誰も手を上げない。そりゃそうだ。今後の生活を考えると本当に不安だが、結局どの役に就こうとすべての行事に参加しなければならないのは事実であり、会長以外なら副会長でも会計でもいいのかなと内心は思っていた。校区自治会長となると二の足を踏む。健康、生活、経済面での不安は大きい。妻帯者なら資料の整理や仕分け配布等、奥さんとの共同作業ができるが、私のような独り者は全て自分で行わなければならない。
*****
最初に手を挙げたのはいずみが丘会長の「会計」Tさん。次に決まったのが高区会長Bさんの「総務」。総務は自治会活動計画などを決める仕事でこれができていないと活動の成否を左右する大切な仕事。この二つは比較的早い段階で決まったが、その後がなかなか決まらない。
会議は煮詰まり、焦げ付き始めた。まるで誰も手を付けなくなった鍋だ。話が全く進展しないまま2時間近く経過。アミダくじで決めるという意見が出始めた。
アミダくじはだめだと思った。覚悟のできていない人が会長になるのはよくない。今回の各区役員に会長をやってはいけない人がいるのかどうかはわからないが、覚悟のないままくじ引きで無理やり決めても後々面倒なことになりそうだと思った。覚悟を決めて自らの意志で手を挙げるべきだと思う。その意思を見せてはじめて周りの人がフォローしてくれるものだと思う。
結局安っぽい好奇心がムクムクと沸き上がり、私が手を挙げた。
歳を取ると「安定」「穏やかな生活」を求めがちになる。自分のペースで誰にも邪魔されことなく静かに暮らしたい。しかし一方で波風にさらされることも経験として、自分がどう変わっていくのか見てみたい。どう視野が広がるのか見てみるのも面白いという思いもないわけではない。やってもやらなくても後悔はするものだ。一直線もいいけど紆余曲折も面白い。ちょっと子供じみてはいるが、60歳過ぎても、今まで見たことも聞いたことも無い、まったく知らない領域に首を突っ込むときのワクワク感。それに加えて年寄りの図々しさも手伝っているのかもしれない。こうなると責任感とかやる気とか覚悟とかよりも「好奇心」だけということになる。
半年後、一年後、ちゃんと活動をやっていけているのかという不安と生活の不安が当然あるが、今現在抱く好奇心が勝ってしまった。
その直後に三嶋(さんしま)区の会長Fさんが副会長は私がやります。と言ってきた。
一年後に後悔していることもあるかもしれないが、良かったと思えるものもあるはずだ。そして会期中は役員たちの前で弱音を吐かないようにしようと思った。ヘボでもヘボなりに前を向いていれば、「こいつのために何とかしてやろう」くらいの気持ちは持ってくれるのではないかと思う。
しかし校区自治会長という職はどれほどのものなのか全く想像がつかない。
26年度、27年度、28年度、30年度、御園第一区の自治会長が校区自治会長を務めたことになる。その後、31年度(令和元年度)の校区自治会長も御園第一区の自治会長が務めることになった。
****+
平成30年度自治会の本格的な活動は4月から始まるが、実際は活動に向けての準備期間が大切だと思う。2月18日に校区自治会役員の各担当割り当てが決まってからこの間、覚悟を決めたはずが実はなかなか「腹を括る」までに気持ちが揺れ動く。結局3月31日の新旧役員の懇親会のあいさつで腹を括った。
高区会長が総務ということで連絡を密にとることでお互いの信頼関係が出来上がった。校区集会所で話し合い、昼飯を共にすることにより、いろいろな情報のやり取りのなかで各区の自治会長との意思疎通も図れるようになる。役員間の雰囲気は良好に感じる。それぞれに人生をしっかり歩んできた人たちだ。割り当てられた役割に責任をもって遂行していける人たちだと確信した。何よりもみんな明るい。みんなに助けてもらいながら会長としての職務を遂行したい。
いつまでも不安ばかり抱いていても時間はどんどん過ぎていく。目の前の課題に取り組んでいくしかない。
それにしても活動が始まる前からイレギュラーな課題が次から次へ飛び込んでくる。なにも判らない状態で手探りでの活動がしばらく続いた。


いいなと思ったら応援しよう!