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マッチを見なくなった
煙草に火をつけようとしたらライターの火がつかない。
しかたなくガスコンロで点けたら、前髪少々チリチリと・・・
マッチ箱というものを置かなくなって何年が経っただろう。
どこの家にも徳用燐寸が置いてあったものだが、今はほとんど見なくなった。
今や仏壇の蝋燭の火までライターを使うようになってしまった。
火を扱うには、なにもかも100円ライターで間に合う。
というかたばこ、仏壇の蝋燭にライターを使うこと以外に使い道はほとんどない。
子供の頃は、徳用燐寸が日常生活での火器関連物全てを支配していた。
煙草・ろうそくは勿論、石油ストーブやお勝手場(オカッテなんて懐かしい響き)の鋳物製のガスコンロにもマッチで点火していた。
ガスコンロなどはガスのコックをひねるタイミングを間違えて“ボン”と、小さな爆発音とともに家中がミシッとなったりして・・・風呂は銭湯だったし・・・
ライターと言ったら高級舶来品(今時こんな言葉を使うこともないな)というイメージしかない。
70年代になって100円ライターが出始めても、しばらくは徳用燐寸は家には常備していた。
喫茶店で一服というときには必ず店のテーブルに店名の入ったマッチが置かれてあった。
マッチで点けた煙草は、最初の一口が硫黄の匂いが混じる。
マッチで擦る動作は煙草をくゆらす最初の儀式みたいなものだった。
ほとんどの大人たちは行きつけの喫茶店や飲み屋のマッチが上着のポケットに、たばこと一緒に入っていたものだ。
店ごとにオリジナルのマッチがあり、お洒落なデザインのマッチを持ち歩くのもまた楽しかった。
マッチを使いきってもお店に行けば必ず真新しいマッチがテーブルに置かれていたので、たばこの火に不自由しない。
駅のホームで電車を待っている間、隣の兄ちゃんが煙草に火をつけようとしてポケットから出したマッチが、自分の行きつけの店のものだったりすると、妙に親近感が湧いたりしたものだ。
近頃、さっぱりマッチ箱を見なくなってしまった。