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孤食

「なんか食べたい」と小、中、高校生の頃の口癖。子供の頃からの変な癖が治らない。いまだにお勝手を通りかかると冷蔵庫を開けてしまう癖。つまみ食いばかりして晩御飯のおかずが無くなってしまったりすることすら。
孤食などという言葉をよく耳にする。
ライオンも、豹も、ハイエナも、ワニも、毎日の食事は殺りくによって成り立つのである。そういう殺伐とした食事に、会話を楽しみながら、などという余地はない。ライオン一家のの食事の光景に団欒はない。周りにはハイエナやジャッカルがうろうろとスキを狙い。上空では、ハゲタカの群れがぐるぐる飛び回っている。
私の食事も考えてみれば、殺伐としている。殺戮は屠畜場の職人さんにお任せするとして、独りで黙々と食事する初老である。独り自宅で食事する私の足元では、ゴキブリを追いかけて巨大な蜘蛛が這い、頭上は蠅がぶんぶん飛び回っている。
独居老人の食事はただただ生きるための栄養摂取であり、作った料理、これが果たして料理と言えるのかどうかさえ疑問に思える。メニューなんてとんでもない。同じものばかり食っている。面倒な洗い物などはできるだけしたくない。おかずもご飯も一つの器に盛り、美味いとか不味いとか、どうでもよくなってくる。ただ腹を満たすために黙々と食べる。豚とか牛とか、彼らが仲間に思える。家畜仲間。この際、私の食事も配合飼料でいいのではないか。ホクレンくみあい配合飼料ヒト用。
生きるとか生活とかという言葉より飼育だ。家畜ともなれば、何かしら労働なり食用なり人の役に立つものだが、口うるさいだけの独居老人にそれを期待するのには無理がある。
こんな状態で生活していると、自分の味覚というものに自信が持てなくなる。
他人に喰わせる機会もなく、すべて自分の好みに合わせて作ってしまう。だから私の作った飯が美味いかどうか、世間の評価が全く分からないため、第三者機関の公正な判断に委ねるしかない 。
時々、必要に迫られ外食をすると、自分の味覚に合わないため、食った満足感がないまま帰宅し、結局また冷蔵庫にあるものをひっかきまわして何かしら喰ってしまうことになる。こんなことなら外食などせず、最初から家で飯を喰えばよかったなと後悔する。とってもめんどくさいのだ。
だからと言って団欒を求めているかというと、そうでもない。孤食に慣れてしまうと、これほど気楽なものもない。良いのか悪いのか。


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