藝大卒展と自己鑑賞対話【後編】
みなさんこんにちは。
今回は前回に引き続きまして、藝大卒展と自己鑑賞対話と題しまして、
お話ししていこうと思います。
前編のおさらい
簡単なおさらいですが、先日、初めて東京藝術大学の卒業・修了展をみに行ったんですが、
ものすごい数の展示で、とても面白かったので、2度にわたって見てきました。
前回配信した前編では、その中で、印象的だった5つの作品を紹介しました。
どれも素敵な作品でした。
こちらは、写真付きで、noteで記事も公開しているので、そちらも合わせてご覧ください。
さて、今回の後編ですが、卒展での鑑賞中に、作品とは別で、鑑賞中に自身が感じたこと・考えたことのメモをもとに、2024年の自分自身の鑑賞に、
目を向けてみています。
この記事では、配信では触れなかったお話や補足などを記事にしています。
みなさんが美術鑑賞される際の、新しい視点の発見になれば幸いです。
そもそも美術鑑賞って何?
まず、そもそもなんですが、美術鑑賞ってなんなんでしょうね?
たくさんの人たちが、わざわざ美術館に足を運んで、長蛇の列に並んで、入場料を払い、名画・名作と呼ばれる作品を自分の目で見ること、
をするわけですが、
その人たちが鑑賞をしている最中の様子を、外側から見ることはできますけど、鑑賞中時の頭の中は分かりません。
他の人がどのように鑑賞してるかを、直接聞くことってあんまりないですよね。
まずは、一般人の僕、自身の、これまでの鑑賞の変遷について、
振り返ってみます。
僕の"美術鑑賞方法"の遍歴
僕自身は、大学生のあたりまでは、近くに美術館や博物館があるわけでもなかったので、年に1回程度、美術館に行く程度でした。
当時は、絵画や作品を見たときに、綺麗だな、カッコいいな、迫力があるな、とかこれがあの有名な作家の作品の本物か、といった視覚的な部分での抽象的な評価や、有名、という権威付けされたものを生で見て、本当に美しいという、名画であることの裏付けをすることが、鑑賞中の脳内では、されていたような気がします。
そこから、二年前に漫画のブルーピリオドに出会いまして、美術館へ足を運ぶことが増えてからは、ちょっとずつ、鑑賞の仕方や観点が増えてきました。
例えば、
構図の良さ、色づかいの良さ
この絵や題材を描くに至る、画家の人生の変遷や影響
絵の中に散りばめられた、その時代の文化や風俗を表すものや、暗喩表現から、過去の世界の世俗を覗き込む面白さ
画家とお金の関係性(1億円の値段がつくのはなぜ?等)
部屋に飾るとしたらどの絵がいい、とか、展示されている物の中で絵を描くとしたら、自分が作品にタイトルをつけたとして、作者とどこに違いが出るか
・・・などなど、いろんな鑑賞方法を知ることができ、素人の僕ですら、鑑賞中の楽しみ方に深みが出ました。
今回の鑑賞方法ついて
今回の鑑賞は、というと、これらの鑑賞方法とはちょっと違っていて、「疑問を持ったところや、気付いたことをメモする」、ということをしていました。
どういう事かというと、作品そのもの、というよりは、作品や展示を一歩引いて見た上で、自分がこれまで気付いていなかった、美術分野に関する疑問や発見をしてみる、ということです
配信では、以下の点について、お話をしています。
保存と修復の伝承も、立派な美術修練のたまもの。科学と美術の接合
目以外でも鑑賞する
作品との距離
美術鑑賞が娯楽消費されているのでは、という違和感
映像作品の見方がいまだにわからない
美術作品は生き物
作品はだれのため、なんのために作る?/商業展示との違い
文化格差
写真は瞬間を所有すること?
コロナ禍が作品に影響は?
ご興味がありましたら、ぜひ、配信をお聴きください。
配信では触れなかったお話
心にあそびを持つ
僕自身、文化的なものに触れるには、心と時間に余裕(あそび)が必要だと考えています。なぜなら、余裕がなければ、鑑賞を通じて、作品からの受け取れる情報や、作品への問いを立てるといった、能動的な鑑賞ができないからです。
極端な話、美術作品は腹を満たせません。でも、心豊かに生きるための、一つの栄養であることは確かだと考えています。
ここ数年、世界中や日本でもそうですが、苦しく、不安な日々を送っている人たちが、少なからずいることを僕は知っています。
そんな中で、美術作品に触れられる機会と時間、そして触れた時に心豊かでいられることは恵まれている、という、自覚をしました。
自分の偏見、他人の発見を探しにいく
美術作品を鑑賞する楽しさもあるが、ありえるかもしれない未来の一端を見せているような、アイディアの種を探す観点で鑑賞するのも楽しいなと、感じていました。
僕以外の人生を歩んできた、さまざまな人たちが、作品という、一つの答えを出した際、自分がこれまで触れてこなかった世界や価値観に出会う場は、鏡のように、自分自身の偏見を映し出してくれます。
例えば、
重力の異なる星では、建築物はどうなる?
もしも、ゴリラとして生きる高校があったらどうなる?
仮に、ハムスターが走った量を、人間が歩いたらどうなる?
といった、僕の内側にはなかった、ひらめきや発見、問いは、僕自身が見えているこの世界が、もっと広く、もっと面白いことに気づかせてくれました。
そういった意味で、自分の偏見や、思考の外の発見に気づける場として、美術館賞は素晴らしいな、感じました。
これから、まだ見ぬ作品が生まれていく喜び
おそらく卒展に出展された方々は、これからも作品を作り続けるでしょう。
これまでみてきた美術館の作品の、作者の多くは、過去を生きた人たちばかりでしたので、新しく作品を知ることはあっても、それは既にこの世に生み出されたものばかりです。
今回、展示された皆さんが、これから先、同じ時代を過ごす中で、どんな新しい作品を作り、どんな思いを持って展示するのか、僕はそれがワクワクしています。
同じ時代を生きる、素晴らしい作者の方々が、今後も素敵な作品作りに邁進されることが、なんだか嬉しいな、と鑑賞中、思っておりました。
まとめ
今回は、藝大卒展と自己鑑賞対話【後編】、ということで、作品鑑賞を通じて感じたこと、考えたことを、改めて振り返ってみました。
2024年の自分にとっての鑑賞とは何か、振り返ることができましたし、
これから先の未来で、自分がどんなふうに作品に触れ、感じていくのかが楽しみになりました。
お聞きの皆さんが、共感できた鑑賞方法や、皆さんの鑑賞方法についても、ぜひ教えてください!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!