「プロゲーマーになる」とはどういうことか考えてみる
プロゲーマーというまだ社会的に地位が確立されていない職業に憧れつつも、現実の社会からの評価や自身の中にある不安や希望と葛藤する青年たちを追ったドキュメンタリー映像があります。
とても面白いのでぜひ本編も観てみてください。
映像を見終わったあと、いろいろと思うことがあったので備忘録的に書いてみました。いろいろな視点を統合しようとすると複雑性が高くなり過ぎるので、あえて端的な視点を切り取った内容になっています。
映像のなかでの暗黙のプロゲーマーの定義
具体的には明示されていませんが、この映像の中でのプロゲーマーの定義は、大きな大会で輝かしい成績を収めており、必然的に多額の賞金を稼いでおり、ゲームで経済的にも成功している人物像として定義されているように思います。
そもそも「大きな大会で優勝すると賞金が稼げる」のはなぜか?
賞金は誰がどのような目的で用意しているか?
を考えると、プロゲーマーの期待役割の理解が深まりそうです。
賞金の財源は?
実質的にはスポンサー企業が出資しているお金になるでしょう。
彼らはなんのために出資している?
大会に注目するたくさんの人たちに広告を打つことへの対価でしょう。
広告を打つことで期待する成果は?
広告を目にした人たちの商材に対する認知を獲得することではないでしょうか。さらには、より多くの人の認知を獲得した先で、その中の一部の人たちの購買につなげることだと思います。つまり「より多くの人の注目が集まるコンテンツを用意できること」が、多額の出資が可能なスポンサー・広告主を集めるうえで重要な要素の1つです。
どういう層の人たちにリーチできるかも企業にとっては重要です
極端な例ですが、家賃が毎月100万円の賃貸の広告を年収1,000万円以下の人たち100万人に見られたところで、広告の成果は期待できません。
経済面だけではなく、性別や年齢層や国・地域や興味・関心など多くの変数によって、自社商材の購買可能性があるか否かの可能性は推測できます。
ゲームの大会に注目していることから「ゲームが好きだろう」「ガジェットにこだわりが強いかもしれない」「サブカル系の他の趣味もあるかもしれない」など、自社の商材の広告と相性が良いかも出資判断の重要な要因の1つです。
なお、わかりやすく商材で表現しましたが企業ロゴのみを掲載し、企業そのものの認知獲得やブランディングを目的としたケースも多くあると思います。
一方、大会に注目する人たちはどんな期待を持っているでしょう?
鍛錬によって磨き上げられたトッププレイヤーたちの人並み外れた技術、彼らが勝利のために真剣に競い合う中で偶発的に発生するかもしれない、その瞬間にしか味わうことのできないドラマや、その可能性に期待する時間・プロセスでしか味わえない高揚感、感動、興奮といった経験・体験を求め、参加費や自身の時間を費やして参加するケースは多いと思います。
トッププレイヤー同士の高レベルな競い合いほど期待値が高まり、より多くの人たちの注目が集まります。
サッカーで言えばバルセロナ vs レアルマドリードだったり、ボクシングであればメイウェザー vs パッキャオだったりと、他のスポーツでもこの原理は同じだと思います。
仮に、すべて筋書きとおりの演出だったとしたら、それでも注目されるでしょうか? と考えれば、何に惹きつけられているかをより理解できると思います。
大会に参加するプロゲーマーのレベルがハイレベルであるほど、より多くの人の注目が集まり、注目の度合いも高まりやすい。
注目度が高いほど、より多額の出資をしてくれるスポンサーを集めやすくなり、より高額な賞金を捻出できる。
賞金が高額になるほど、よりハイレベルなプロゲーマーに参加してもらいやすくなる。
こう見るとニワトリタマゴのような話ですが、
実際には大会主催者がまずはリスクを負ってスポンサーを集めつつ大会を企画し、広告宣伝を頑張って注目を集めたりよりハイレベルなプロゲーマーの参加を促す というケースが多いのではと思います。
ここまでの話を整理すると
賞金の財源は企業であり、企業の出資目的はより多くの人に情報を発信できることであり、投資判断の重要要素は広告費の投資対効果があるか否かである。
大きな大会でより多くの人が注目するのは、それに見合うトッププレイヤーたちが高度な技術で競い合い、その中で生まれるかもしれない、そこでしか味わえないようなドラマや興奮するような展開が体験できるかもしれないからである。
つまり、プロゲーマーになるということは最強を目指すということ と言われても違和感がないかもしれません。
が、この前提は「プロゲーマーとは、大きな大会で輝かしい成績を収め、賞金をたくさん稼ぎ、経済的にも成功している」という定義の場合です。
そしてこの定義は昨今の社会の流れから見てフィットしていない印象を感じます。プロゲーマーの定義においてもこれからはより多様な解釈が当たり前になるではないでしょうか。
ここからは、ゲームをプレイすることで経済的に生計を立てられそうな他の方法について検討したいと思います。
誰でもパッと思いつきそうな稼ぎ方の1つがYoutuberだと思います。ヒカキンや兄者弟者などが筆頭かと思いますが、ゲームの実況動画配信で十分に収入を得られている成功事例は多数あると思います。彼らはゲームプレイに関して高度な技術を持っているわけではありません。
少し毛色が違う事例では、釈迦やティラミスのように大会で活躍するなど技術が先行して認知を獲得するケースもあると思います。ただしYoutuberとして安定して視聴数が多い配信者は、トーク力や映像編集など配信者としても一定のレベルが求められるとは思います。
とはいえ、本質的に求められるのは同じで、より多くの人の注目を集められることです。
なぜなら配信者の収入の財源は同じく広告費だからです。
再生数が増えるほど、その分広告が再生され企業→プラットフォームへ広告費が発生し、その一部が配信者に支払われる。
大会と性質が大きく異なる点として、配信者やコンテンツに対する直接的なスポンサー企業ではないので、コンテンツの内容や質とは関係なくとにかく再生数さえ増えれば良いという側面があります。
さらに抽象度を上げると、プロゲーマーが対価を得られる仕組みは価値の交換によるものです。
プロゲーマーは自身の時間を費やして鍛錬したりあらゆるケースを想定して戦略を構想し、それらを他者と競わせるかたちでコンテンツを生成する。それに興味を感じる人たちが参加費を払ったり自身の時間や意識をそこに投じることを対価を払う。それを得たい企業が、対価として広告費を払う。広告費をもとに賞金が用意され、プロゲーマーが対価として賞金を得る。
ここで問題になるのが、注目してくれるかもしれない人たちの人口には上限があり、さらに彼らが注目してくれるかもしれない可処分時間にも上限があることです。そのため、ここでも競争・奪い合いが発生します。
さらにここでの競争相手は他プロゲーマーや他配信者に限りません。仕事、家事、勉強、家族との時間、VOD、漫画、読書、スポーツ、ゲーム、SNS などなどきりがありません。
配信や賞金以外にも、有識者としてゲーム開発に携わるとか、技術を教えるといった方法も考えられるかもしれません。
ただし子供の教育的な意味での教則は難しそうです。なぜなら出資者は親であり、親の期待する投資対効果との親和性が高くないと考えられるからです。
ボイトレやパーソナルジムやゴルフのように、自分のための出費に対し自身が決済権を持っているケースであれば、今後ゲームの教則に価値を感じる人が増えてくる可能性もあるかもしれません。
技術的な教則だけでなく、自身とファンとのコミュニケーションや、ファン間のつながりを対価にした独自のコミュニティを運営する方法も有効かもしれません。
いずれもお金ないしはその人の意識や時間を対価として交換してもらう必要があるわけで、簡単な方法はないでしょう。
とはいえ、大きな大会で賞金を稼げるほんの一握りのプレイヤーじゃなければプロゲーマーにはなれない という世界はナンセンスなのではと感じました。
そういう排他的な世界観を築いたほうがいろいろと都合が良いという事情があるケースもままあると思います。
冒頭紹介した映像も、Dota2の開発元や関連企業がNetflixの制作費を一部負担したり撮影に協力している可能性はありますし、誰かに都合の良い視点や前提を無意識下に植え付けられ兼ねない内容に意図的に仕上げられている可能性もあるかもしれません。Netflixも経済合理性を無視することはできない企業である以上、もしそうであっても驚きはありません。
そのあたりの懸念や違和感を感じたことは、考察を書きたくなった要因の1つかもしれません。
ただ、真剣に物事や自分や家族や仲間と向き合い、葛藤し、成長していく人の姿や生き様は、純粋に美しく素晴らしいものだな とあらためて感じることができました。
そんな興味深く面白いドキュメンタリー映像であるという事実と、そういった映像を制作・配信してくれるNetflixはとても貴重な存在だなと思います。