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愛は社会を救う‼︎

先日、乗り越えられた恐怖というタイトルで記事を投稿しました。

https://note.mu/heartybeauty/n/nd7681f02162c

きっとそれぞれの経験によっては理解するのが難しいはずのあのような文章に対して沢山の方が読んでくださり、反応をいただいて、本当にありがとうございます...!私の周り、やっぱり最高だー♡

あの記事も、私の心の中で戦っていたものも、テーマは「愛」です。


あの記事に込めていた想いの軸は、(指が走るままに書いたものなので、自然に込もっていたものは)

「怖い人や嫌な人からは距離をおいて好きな人たちと居てみたら愛されることのことの恐怖を乗り越えられました!」

ということ(報告)ではありません。(心がマイナスの状態で言葉を吐き出すことは、周りに得が無いし、自分の中でもそれが減るどころか、実際は不満が増えてしまうので、しないほういいって思っています!といいつつ、未熟な人間なのでたまにするけど許して🤣)

勢いで書いたのでそんなふうに読み取られるかもしれませんが←すみません!笑


本当に書きたかった想いの軸は、

色々経験したからこそ、愛を怯えずに俯瞰して捉える余裕ができた!!!だから愛を世の中にどんどん与えていきます!!

です!

この考えについて、今日は詳しく書きます!


愛って人間にとってすごく重要なものだと思うのです。

お金より、モノより、結局心を満たしてくれるのは大きな愛だと思うんです。(愛=loveではない。それについては後で書きます)

例えば、京アニ事件の青葉容疑者は転院前、治療に携わった医療スタッフに対して「人からこんなに優しくしてもらったことは、今までなかった」と感謝の言葉を伝えたのだそうですが、

私はニュースをみるとき「嫌な人だ、怖い人だ」と感じるよりも前に

「どうしてこの人はこんなことをしてしまったんだろう?」

「どんな人生を歩んできたんだろう?」と、その加害者自身の背景を考える癖があります。

その中で、犯罪を起こしてしまう方は、愛や承認に飢えており、社会的に阻害されてきた人も多いように感じてきました。(←勿論そうじゃない人もいるので犯罪を犯す=環境や心に問題があった人という断定的な見方はやめてください)

自分の存在を社会にアピールしたい

そんな心理が根底にあると思うのです。

※その人たちが社会に求めている愛は「興味」であり、「love」とは異なる

そしてこの欲求は犯罪者に限らず人間なら多かれ少なかれ、誰しもが生まれた時から自然に持っているものだと思います。

また、(ここに関しては色々な考えの方がいると思いますが、)私は産まれたときは人間はみんな綺麗だと思っています(性善説?のようですが、汚い部分もあるのはわかる!だけどそこも引き出し方や扱い方によっては人間を美しくするものだと思うから、美しい!)

だって、汚い笑顔の赤ちゃんなんていないじゃん!

犯罪者だって、私のことストーカーしてきた人だって、みんな赤ちゃんの時は、あんなに綺麗!(今だって真っ黒じゃない)

だけど、愛や承認に飢えていくうちに、道が逸れて、良くない行動に走ってしまう

だから、犯罪を減らすには

を与える」よりも、(結果的に現状社会を安全に保つために必要なので、罰があることを否定しているわけでは全くありません!)

を与える」方が大事だと思うんです。

一旦少し話が逸れますが、私がここまで愛の大切さを感じている理由。

それは 私自身が今もいままでも、愛に支えられて最高に幸せすぎる!!って思って生きてきたことだと思います。

ものすごく大人しかった(今思えば単にめんどくさがり屋で本当に一人が好きだったんだと思う)で、周りの人達からは、障害があるのではないかと心配されるほど(大人しく見えていた)だった私のことすらを、ひたすらに信じ褒め続け、なんでも好きなことをやらせ、大きな愛を注いで育ててくれた家族の存在があったからだと思います。

(先日帰省した時ふと「世界一幸せな娘だよ!ありがとう!」と両親に伝えたら両親も「りおがそう言ってくれるのがパパとママも世界一幸せだー!!笑笑」と笑いながらですがそんな返事が返ってきました笑)

だから、自然に自己肯定感が(自信は基本ないけど肯定感は多分高い)高く、何をしてても幸せだったのだと、成長してから気がつきました。

残念ながら特にお金持ちでは無いですが←笑 世界一幸せな女の子だわ!って、一人暮らしするまでずっと当たり前のように思っていました。

しかし、上京して一人暮らしを始め、働いたりするようになると自分とは違う育ち方をしてきた人達と関わる機会が増え、色々なことに気がつきました。

例えば学童保育の先生としてアルバイトをしていた時。中には家庭環境に問題を抱えている子がいて、

その子たちは、大したことをされていなくても、少し自分が嫌なことがあると「死ね!」「ブス!」といった関係ない子や先生達を傷つける言葉を叫び回ったり、おやつの時間には教室内に食べ物を投げ散らかしたりしていました。そんな子供達の目に希望がなく、人を恨むような目をしていたことに、私はとてもショックを受けました。(ひたすら褒め続けましたが、中々難しい面もある!)

人を傷つけることをわざとし続けてしまう根底には、「何とかして、周りから関心を向けられたい」そんな感情があったのだと思います。


だからこそ、そんな人たちを救いたい。

「嫌な人たちは人は避けて疎外してこう!!その方が安全」で終わりたいとは、全く思っていません。 自分の身を守ることと、それは全く別のことだと捉えられるようになったからです。

怖い経験をしてきたから、そうなるのがやっぱりいいのかと何度も思いながら考えてましたが、そうすること自体が、ここまで書いてきた経験から愛の素晴らしさを知っている私自身を、傷つけることになるとわかったのです。


それでは、せっかく自分は恵まれて育ってきたのに、世の中に還元するどころか、何も変えられないし、むしろ悪化させてしまうかもしれないからです。

だから、みんなでみんなを受け入れていける環境を作りたいです。


これは、

「執着に近い愛に対して、同じ形のもので応える(行動や言葉で同じものを返すなど)」ことや、「積極的に関わる、時間を割いてあげること」ではありません。そうしてあげているうちは、いいコトをしているようでその相手自身もいい方向に歩めない!一時的な、相手にとっても本質的では無い需要に応えているだけです。永遠に形だけの愛に飢え続けるどころか、応えてくれることが当たり前になるので、強い執着に変わり、エスカレートしていきます。結局は本質的に誰の心も満たすことができないと思うのです(自分自身も愛に飢えているとその悪循環に巻き込まれてしまうから、怖いしそゆうことから起きる男女の問題多い気がする)


そして、執着とは異なる変わらない愛は、母親が子供に与えるような愛だと思います。それは、相手のありのままをまるごと受け入れるということです。まず、一人の人間として、肯定する、ということです。

だから、先日のブログも最後は、

私がみんながありのままで生きられる社会をつくりたい

と締めました。ありのままで生きられる社会をつくる為の手段の1つが、一人一人のことをありのままに受け入れることだということです。


人との関わり方について、「いま自分の周りにいる人」をきちんと選ぶということは、とても大事なことだと思います。だから私も普段から、多く関わる人は選ぶようにしてます。でもそれは、そうゆう愛に飢えてしまう人たちを社会から見捨てるのとは全く違うのだということです。


具体的な話をすると、近い未来に、そんな人たちの為の居場所を作りたい!

でもまずは、今の私がすぐにできることとして、人をありのまま肯定できる人でいたい!!

小さな小さな宣言ですが、これは実際、中々難しいことだと思うからこそ!です。

そして、みんながそうなったら、心の居場所があちこちにできて、幸せな人が増えて、暗いニュースも減るんじゃないかなあ

と思います。

そのためにもまずは、自分が幸せで居続けることは大事。心のコップ一杯に溢れた水を分け与えられるように!!

さて、今日も楽しもう!!


長くなってしまいましたが、読んでくださりありがとうございます!!一緒に心の居場所を作っていきましょう!!


おわり♡







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