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卒業旅行で気づいた、友人との“ずれ”
こんばんは、はちみつです。
先日、卒業旅行に行ってきました!
今回はその記事を書いていこうと思います。高校の友人と旅行に行ったのですが、大学四年間で友達との距離感がどう変わったのか、変わったことをどう受け止めたかに注目して読んでもらいたいです。また、今回はあとがきもあるのでよかったら読んでいってください。
卒業旅行で、友人に感じた友人との"ずれ"
卒業旅行、とっっっても楽しかった!だけど、私らしい私で居たかというのには少し疑問が残る。
もちろん、友人と旅行をする中で自分の意見を言うことと、周りの意見を聞くことのバランスはわかっているつもりだけど、それにしても私は集団が苦手だと再確認した。
"周りに合わせて意見が言えなくなる"
これは私の悪いところ。
また、周りのニーズを察して先回りしてそれを叶えるようなところがある。
これは、私の周りの子たちの勘が鈍いのか、私が鋭すぎるのか…多分両方。
長い付き合いの友人3人(私を含め)と2泊3日の旅に出た。そのうち一人は高校時代で1番仲の良い友人だった。波長が合うなと当時は感じていた。今は違う。
これは、お互いの人生経験や価値観の変容によるものだろうなと思う。彼氏の有無やそれぞれの頑張って来たこと、今頑張ってることや未来の方向性…。そんな差異が大きくなって、ひずみを生んだんだと思う。
旅行中何かが決定的に合わなくて、湊かなえ先生の著書の一つ「豆の上に眠る」のまさに「豆の上に眠っているような違和感」があった。みなさんは豆の上に布団を敷いて寝た経験はありますか?私はありません。けれど、背中に豆がある状態で寝たらなんか落ち着かないのは想像できますよね💭
合わなかった…。本当に合わなかった。
詳細は避けるけれど、私にとってはその違和感が決定的だった。
けれど、これはどっちが悪いとかそういう話ではないから。その子がその子なりに頑張って来た姿を私は知っているし、私も私のフィールドで学んだり生きてきたし。これは、人生経験の違いだから、しょうがない。私は私の人生を生きるし、彼女は彼女の人生を生きる。お互いが変わっていったことを悔いるのは時間の無駄でしかないから。ただただ私の立ち位置で、彼女が幸せであることを願っている。
これは自慢でもなんでもないんだけど、旅行中に自分を鏡で見た時に、独特のオーラがあるなと感じた。もしかしたらnoteとかで自分の考えを整理する時間や自分と向き合う時間が増えたからかもしれない。[ナルシスト少し入ってるかも(笑)]
また、これは旅行でいろんな人を見る機会があったから余計そう思ったのかもしれない。人生経験や考えが立ち姿にも現れるのかなと思った体験でした。
写真
旅行の思い出として写真を載せておきます。
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…友人と一緒だったからこういうところも行ったけど、多分一人だったら行かない。一人ではできない体験が誰かといるとできるというのが人といる時の魅力なんだろうなと思う。
また、気の置けない友人との旅行はとても楽しかった。(本記事で色々書いているけど😳)
友人に感謝です。
あとがき
プリンの甘い部分だけを食べるのは私には性に合わないので、友人と旅行というどうしても浮つきそうなイベントの中で少し向き合ってみました。私の価値観が出てる記事になっていると思います。また、私は吉本ばなな先生の小説を高校時代に読み込んできています。高校時代は私にとって、どん底でもありました。
私はどん底にいる時に見たものや経験したものに、大きな影響を受けています。それが理由なのか、自分にとって大事な話をする時は吉本ばなな先生の文章の呼吸が出ているなと感じます。吉本ばなな先生、大好きです。