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人生を返して欲しいと恨む一方で、私から障害を取ると何も残らない現実

精神障害者になって15年目。
発達障害が発覚して4年目。

「人生を返せ、わたしは障害のせいで人生を奪われた!」

何度も何度もそう言ってきた。

でも、実際には障害というレッテルのおかげで手帳をもらい、自立支援で医療費が安くなり、訪問看護に来てもらえて、そして障害年金で生活できている。

じゃあ、いざわたしの中の障害が、ある日突然消えたらどうなるのか。

答えは簡単だ。
わたしはもうずっと障害と一緒に生きてきたから、何も残らない。

全てを失った、ただの孤独で空っぽな人間になるだけだ。


いつしか障害や病気に関することでしか自己を見いだせなくなった自分が、非常に情けない。

病気のこと、障害のこと、病院のこと。

わたしから出てくる話題はこれだけだ。基本的にこれらのことしか考えていない。他のことは頭にない。

だってもう15年間も精神科に通って入院して薬を飲んで、この生活を続けているのだから。

家庭環境が悪かった、児童養護施設に入ったのがいけなかった、そもそも発達障害が幼少期に分かっていれば、あの時無理して無理して働いて潰れるのではなく最初から作業所を受容していれば、わたしに血のつながっていない父親なんて存在しなければ、PTSDのフラッシュバックがなければ。車椅子と筆談で生活していたあの日々がすべて消えてくれれば…

なんて、人や環境のせいにして。いつもいつも被害者ぶって。

馬鹿だなあ。そんなのわたしのアイデンティティじゃないのに。

実はわたしは病気でもなんでもなくて、ただの甘えた堕落した人間なのかもね。