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地方住みアラフォー独女、退職決まりました①

note更新を週1の目標にしようと思ったのですが、退職のあれこれや年末年始ののんびり気分で間があいてしまいました。

その間に、正社員で15年間勤めた会社の退職が決定しました。本格的に辞めたいと最初に思ったのがたしか7~8年前だったのでようやくか…という感じですね。(忍耐力ありすぎ!)今の会社、本気で辞めたいと思ったタイミングは4~5回ありました。
あ、入社3日で辞めたくなった事件も思い出しました。

むしろこの会社で勤めて将来安泰と思いながら働いていたことは入社以来一度もなかったように思います…。この記事では地方済み独身アラフォー女の社内歴を振り返り、退職に至った経緯を詳らかにします。(自分の振り返りのため)綴っていたら、最後は会社への怒りと愚痴になっている気もしますが。

現職の会社について

・第二新卒のような枠で入社。正社員。地方採用。リーマンショックの次の年だったこともあり、倍率は120倍くらいだったといいます。1名採用に120人応募があったとのこと。これをくぐり抜けたのはすごくラッキーと入社当初口々に言われていた。
・おおまかにいえばサービス業
・業界大手。誰もが名前を知っている会社。47都道府県に支社あり。世界にも50か国程度拠点がある。
・私はこの各都道府県に置かれた支社勤務。
・もともと事務職(一般職)として入社。その後、制度面で一般職がなくなり、総合職の人と同じ仕事をすることに。(だが、給与は一般職据え置きのまま←理不尽、退職を決めた重大ポイント)

今の会社に入ったのは27歳のとき。
それまでは東京で総合職でバリバリ働いていました。社名を言えば、ああ…と皆がなる激務で有名な会社です。
そこを疲弊して辞めて、しばらく実家(地方)に戻っていた時に今の会社の仕事の求人を見て、大学時代の専攻にも近いので興味を持ちました。
大手企業だし、地方採用の一般職で少し働いてそのうち結婚でもしようと思い、今の会社に入社。(低い志。それくらい疲弊していた)
まあ、そこから紆余曲折、結婚してないのですが(!)

現職の仕事について

<正社員入社時:一般職時代>
一般職時代は、内勤。営業アシスタントのようなもの+簡単な日常経理+イベント業務など。お給料は低いけど、目標も持たされないし、暢気なもの。
入社後半年間の現場での研修時代は、遠方の現場(学習塾店舗です)で家に帰るのが22時過ぎとなかなか大変な日々でしたが、前職の終電当たり前の激務で感覚がバグってるので平気でした。(よくない)
しかし、入社3日で辞めたくなっていました。(第一次辞めたい期)
なぜなら支社の人間関係が破綻しており、これまで出会ったことがないくらい奇特なタイプの女性先輩たちの見本市のようだったからです…。
まず入社3日でしょうもない嫌がらせ陰口事件に見舞われます…。もっと早く会社に来い(始業40分前には行っている)、電話にもっと早く出ろ(いや、ワンコールで出てますが…)など言ってくる契約社員の先輩。私の教育係になった正社員の先輩に、あることないこと告げ口されていました。
必要以上に強く当たって来られて、あまりにも理不尽なので、しばらく様子を見てから上司に相談しました。さらにご本人をロッカールームへ呼び出して「至らないところも多いですが、言いたいことがあれば直接お願いします。その方が改善できるので」と直接お伝え。→すると、「あなたは十分頑張ってると思います。その上で、もっとよくなると思い伝えていただけ!」と逃げるように去っていき、その後は何もされませんでした。(まさか反撃されると思っていなかったのか?幸い良心は残っている人だった)私に辛く当たっていたのは、直前の正社員登用試験で落ち、その代わりに私が正社員で入社したからでした。むしゃくしゃしていた、と。それは気持ちは分からんでもないです。とばっちりですが。
15年で紆余曲折有ありまして、今はこの方ともわりと戦友です。正社員登用試験も受かられて。あの出来事があるから心から信用はできないけど。
その他、教育係の先輩の毎日の圧倒的なパワハラ。(今でいうフキハラってやつですね。機嫌が悪いと質問しても教えてもらえない。少しでも上司や仕事相手に注意を受けたり意見されると大泣きするので誰も何も言えない。)そして、その先輩とライバル関係の先輩の日々バトルと圧政。
どうもおかしいなと思いましたが、私が入る前は入社した人が皆1年と続けられないことが数回続き、新入社員もすぐに辞め、人事部にもマークされている職場でした…。入社前に知りたかったよ…。知らないって怖いですね。職場環境の相談時に、人事部の方に「実は…」と言われました。「その雰囲気を変えてほしいと思っての新メンバー投入だった」とも。
でも数年かけて割とのらりくらりと人間関係を築いていき、なんとかなじんでいきました。他県の支社の方々からは、よくやっていけてるね!って言われていました。そういう意味では人事部は見る目はあったのかもですね…。私はつらいけど。
仕事はとてもゆるい。前職では考えられないくらい目標意識も考え方も甘く、ミッション遂行度も低い社風でした。これで会社が成り立っていることに驚きつつ、ラッキーだなとも思いました。

ちなみにこの頃、この人間関係から逃れたく転職活動もしていて、日本年金機構(民主党政権下)という公的機関に内定をもらっていましたが、結局政局が不安定で心配なので辞退しました。
ここでこの会社をすっぱり辞めて新たな道を歩いていたら、どんな人生だったのだろうか。

<上司から圧をかけられていた時代>

入社時の最悪人間関係を乗り越え、数年(3~4年くらい?)安定して過ごしていましたが、時代の流れか、はたまたこの全体のゆるさで会社自体が立ち行かなくなってきたのか、いわゆる一般職撲滅キャンペーンとも取れる会社の制度変更が始まりました。
私としては、まったく働きもしないいわゆる50~60代の平社員の高給取りで、2~3年で転勤して歩くため責任感なく地方で適当にのんびり過ごしているおじさまたちをどうにかした方が絶対にいいと思いますが(※ほぼ一般職が支社を回している)会社はそうはできないようです。制度を決めるのもその世代の方たちや、その方々の後輩たちだからでしょう。自分たちだけは特権階級として守るんですよね…。まるでいまの日本、J民党のよう…。
そんなわけで、一般職を総合職へ強制移行させよう、という制度変更のムーブメントが強まる中、一般事務職員に直営店舗で塾運営をやらせてしまおうという動きが起こり始めました。じつは塾運営の仕事は社員でなく、通常は契約を結んだ個人事業主が看板料を払ってやっているのですが、これがまた条件がひどく、なり手がいない。そこを一般職で埋めてしまおう!というアイディアですね。ちなみにお給料は一般事務職のままで、です。客観的に見てもひどくないかと思うけれど、会社的には「個人事業主よりは恵まれているでしょ?」ということらしいです。
塾はだいたい夜21時くらいまでなのですが、フレックスタイム勤務も使用できず、朝礼もあるので、朝9時から1日12時間労働は必須。9時から昼過ぎまでは通常業務、15時くらいから21時まで塾運営の仕事です。残業代はつくとはいえ…長時間労働です。一般職は営業車も使えないため、公共交通機関で遠方の現場へも行かされる…。帰社も大変。
ちょうどこのころ転勤してきた新上司に塾運営の現場仕事をやれと圧を何度もかけられました。でも私は事務職で入社したし、基本給20万にもいかないこの給料で塾運営をやるのは絶対に割りに合わないと思っているので断固拒否していました。(前職が人材系の会社なのでそのあたりの相場の感覚はしっかり持っており、上司にもそれは伝えていた)
あるときは、「どうせ独身なんだから夜遅くなっても大丈夫だろ、(塾運営を)やれ」と上司に言われ、その発言をコンプライアンス窓口に相談して相討ち覚悟で会社をやめようとしたこともありました。結局、私がコンプライアンス窓口をちらつかせた時点で上司が折れて、私に塾運営業務にさせることを上司が諦め、通常の業務をしていたのですが、常に圧を感じ居心地が悪く、日々気持ちのいいものではなかったです。
幸いその上司は1年半くらいで左遷されていくのですが、このあたりから会社への不信感はどんどん蓄積していきました。
でもすぐに転職活動なんてできないんです。年齢も30歳を超えていましたし、地方ですから……。地方には月給15万・年間休日100を切るような暗黒求人がゴロゴロ転がっていますので…。まだましと言い聞かせて頑張っていました。ここで30歳半ばも見えてきています。焦りはあります。婚活もしてうまくいきそうになったりもしていましたが、結婚には至らず……。
一方、このあたりで当時一緒に組んでいた営業が全国トップの成績を収めたりして私も昇級したりもしました。
でも相変わらず、年間の昇給は+1000円です。10年かかって1万円か…。上がらないよりはましですがね。。ちなみに総合職の上り幅は大きいそうです。

<コロナ禍、そして全員強制総合職移行へ>

そんな中2020年、コロナ禍を迎えました。ここに全社の一般職→総合職(名前と仕事だけ)強制移行のタイミングが重なりました。
一般職社員に、これまで総合職(営業職)がやっていたように地域の現場の外回り担当・数字目標・新規開設件数目標を持たせるという形です。もちろん報酬は一般職のままです。(絶対におかしい)
この会社の制度切り替え以降が本当に最悪でした。。数字目標に関しては、達成できなくても前職のように叱責されることもないのですがね…。ゆるいので。
だが元々総合職だった社員たちはこれ幸いと、どんどん仕事を元一般職へ押し付けてくる。(【総合職】という同じ名前になったのだからやれよということらしいです。しかも、君たちは未熟なのだから勉強のためにどんどんやれ、もっとやれ、という押し付けが始まります。あの…報酬が全然違いますが…仕事してください)
そして、どんどん現場回りをしろ!となっていた矢先。コロナ禍となりました。
これを機にリモートワークに切り替わり、現場周りは極力せず、リモートで対応をするという形になったので、何とかギリギリ踏みとどまりました。
外回り、絶対いやなので。東京時代も内勤営業でした。
ここから2年ほどリモートワークメインの仕事が続きます。社会的にもリモートが流行っていた時期ですね。フルリモートに近いような形なのでこれなら多少の不満はありつつも続けられるかも…と思っていた矢先。
県内に2つあった支社が統合しました。同時に、コロナも5類へ。リモートは残りつつも、また現場仕事が復活します。
支社統合は、同県とはいえカルチャーの違う支社が一緒になり、メンバー同士はぶつかり合いました…。そして拡がる担当範囲。かなり広い県なので、担当エリアによっては車で4~5時間かかることも。そんなところの担当になり、トラブルや何かがあったら対処しに急行するなんて考えられないです…。一般職の給料なのに…。おかしいです。
また、コロナ禍で会社にリモートワークが根付いたことにより、本社と支社(現場)の格差も広がりました。
本社勤務の人たちは、仕事が暇すぎて数か月に一度出社するくらいだといいます。(本社勤務の元同僚談)そんな様子はたぶんコロナ前もそうだったのでしょうが、全国のウェブ会議が増えたことにより、それがよく視界に入るようになりました。地味にいらいらしますね、これ。現場は忙しいのに。本社の人たちが現場を知らずに机上で考えて現場に下ろしてきた施策に振り回される始末。
おまけに本社のある首都圏・大阪は地方よりも基本給が高く設定されている。そのこともいらいらに拍車をかけました。
さらに、同じ地方営業所(A県)在籍の中でも制度的に格差が生まれました。
正社員メンバー約10名中、半数が首都圏に住み、リモートで遠方から地方のA県を担当。地方採用の元一般職メンバーは彼らと同じ仕事をするのだけれど、現地で仕事をする。このA県支社の責任者も首都圏在住。A県現地にいるのは元一般職メンバーと契約社員のみ。何か現地でトラブルが起きても元一般職メンバーを現地に向かわせる気満々の体制です…。ひどすぎる。絶句。支社の責任者なのに支社のある県に住んでないってそれどうなのですかね…。ちなみに何の肩書も報酬もなく、私が地方の支社オフィスの管理者に設定されていました…。何故。
しかも、首都圏から地方をリモートで担当する制度ができたのは、総合職の皆さんが地方転勤をしたくないからなんですって。地方採用の元一般職に現地仕事は任せたいからと。どこまでも自分に甘い人たちだな…!?国会議員か!?

そんな中、この理不尽さに嫌気がさしたのはだれしも一緒なのでしょう。元一般職組の先輩が2名続けて退職しました。その退職分のメンバー補充もありませんでした。元一般職は人としてカウントされていないんですかね…。
そして残された我々に担当が振り分けられました…。このあたりで心は完全に折れました。(その後、今にいたるまで総合職社員の産育休、心を病んだ総合職社員の休職などが相次ぐ)

当然のごとく、担当が増える=目標数字が増える=トラブル対応件数が増える、です。
これまでも担当している塾経営者の急逝で代わりに塾を閉鎖する作業、保護者トラブル、塾へ入った空き巣関連の対処、塾内の雇用関係トラブルの間に入る、自然災害で壊れた塾建物の復旧、コロナ禍の塾内でのパンデミック対応など…突如、現地に急行し対応させられた仕事には枚挙にいとまがありません。
24時間社用スマホを気にして何かあれば対処に当たるの…疲れましたね。

仕事・会社そのものに疑問もあるけれど、仕事内容が当時採用された条件から劇的に変化した+社員間の格差に対する不満が退職の決め手だったように思います。
でも、同じ仕事をしているのに社員としてこんなに差をつけられることがあるんだという理不尽さで怒りに燃えながら仕事をしてきた日々も、退職日が決定しもう終わりです!
晴れやかな気分…ではありますが、すごく会社に対してもやもやした、ぞんざいに扱われた残念で悔しい気持ちはずっと残り続けています。
今後も数多く打たれているTVCMみるたびに、会社に対する嫌な感情が呼び起こされるのだろうな…。大手ではあるもののコンテンツ自体がオワコン気味なので、着実に社員減らしにかかっていて、まずは元一般職を撲滅という形を取っているというのは、経営視点からすれば納得はいきますが。15年勤めた結果がこれか…と悲しくもなります。
実際の塾現場の勤務形態や手取りはもっと悲惨なので、この会社は都会でリモートワークをぬくぬくしているコタツ総合職だけが肥えている会社なのだと思います…。本当に塾現場はほぼボランティアで成り立っているので。塾運営の方々は個人事業主なので、確定申告書を作成するお手伝いもしていましたが、第四表をしょっちゅう目にしていました。(赤字の繰り越し申告)会社としてもどうなのだろう…搾取がひどいと思う気持ちで常に良心が痛んでいました。

唯一、よかったなと思っていることは、今の上司がとてもやさしくていい方なので、円満退職できそうなところだけが救いです。私は運がいい。

転職活動は、支社統合のあたりから気になった会社があれば受けてみて…とだらだら続けていました。足かけ、3年くらいでしょうか。長いですね…。地方だからそもそも受けられる会社が超少ないのもあります。

次回はそのあたりの話を記録していきたいと思います。


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