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猿楽町のトンボ
屋上の水溜りに
本社の屋上で、妻の作ってくれたお弁当を食べていた時のことだ。
その日は、残暑もおさまり、曇り空で、秋を感じさせる涼しげな風が吹いていた。
屋上といっても、せいぜい30坪くらいの広さ。落下防止用の鉄柵があるくらいで、ガランとしている。
そこには、数日前に降った雨のために、いくつか水溜りができており、
社屋の向こうにそびえる高いビルの影を映していた。
何気に、そこに目をやると、生き物がいた。
「とんぼだ」
シオカラトンボが、水溜りの近くにひっそりと羽を休めている。
ここは、猿楽町のビルの谷間である。
周りには、民家も少しはあるが、ビルばかりといっても良い。
そんなところに、シオカラトンボがいるのだ。
近くに川はあるけど、彼は、神田川から飛んできたのかしら?
トンボの彼は、何故だか、彼女ではなくて、
「彼」なのだ。
というのも、しばらく観察していたが、水溜りの上を、飛んで、行ったり来たり。
ほとんど同じ場所に降りては休み、それを繰り返すこと20分くらい。
なんだか、誰かを心待ちに、待っている感じがした。
短い短い命を、子孫をつくり残していこうとしているかのよう。
「僕の彼女現れてくれ!」
なんだか、そんな声が聞こえてきたような。
こんな都会のビルの屋上の水溜りに、トンボの、彼女は水の匂いをかぎつけて
飛来してきたりするのかしらと、しばらく見守ってみることにしたのである。
しかし、しばらくすると、休めた体にビルの輻射熱をとり込んで、体を温めることができたのか、スッーと飛び去ってしまった。
「あーっ、もう少し、辛抱できないのかよ」
そう思うまもなく、飛び去ってしまった。
「待ち人来らず」だったのかなぁ。
ガンバレ、トンボくん。