献血で看護師さんから学んだ、他人は気にせずに「好き」を追求することの尊さ
先日献血を受けに行った。
初めてだったから
すごくワクワクしていた。
でも少し緊張もしていた。
無事献血が終わって
10分くらい経った。
水分をもっと取った方がいいと
看護師さんから言われたから、
アクエリアスをもらって飲んだ。
2、3口飲んだら気持ちが悪くなった。
異物が入ってきた感じで、
吐きそうになった。
そしてスタッフの方に
声をかけて、
袋をもらって水分を
全部吐き出してしまった。
ペットボトル1本みごとに
全部出てきた(笑)
今度は目の前が
チカチカなってきて
失神しそうになった。
すぐにベッドに寝かされた。
顔から血が抜けていくのがわかった。
もう何も考えられない、
抵抗もできない。
周囲に身体を任せて、
ただ起きるままを
そのまま受け入れて
倒れるようにベッドに寝た。
でも思ったよりも
動揺していなくて、
しょうがないくらいに思ってた。
点滴を受けることになったけど
今度はお腹が痛くなってきた。
カイロをお腹に当てられた。
点滴を打つ前にトイレに行くか、
それとも打ってから行くか、
看護師さんが
ものすごく迷っていた。
ただでさえ血がない状態なのに
トイレに行ったら倒れてしまう。
よし、我慢できるから
とりあえず我慢しよう。
めちゃめちゃ急いで
行かないといけない
というわけではなかったから、
点滴をすることになった。
また寒気が戻ってきた。
吐き気が襲ってきた。
とりあえず起きるままを
そのまま受け入れた。
何回も血圧を測られた。
上が74はやばいと思ったけど、
貧血になると
ここまで下がるのかと驚いた。
500mlくらい
点滴を打ったから
大丈夫になった。
看護師さん
みんなが話しかけてくれた。
「大丈夫ですよ」って
何度も言ってくれた。
「治ってきていますよ」
って言ってくれた。
段々と元の状態に戻ってきた。
頭はまだ重いけど
座れるようになった。
よかった。
そして帰ることになった。
また1時間後に
確認の電話をしてくれるらしい。
看護師さんの温もりに包まれて、
涙が出そうになった。
こんなにも温かく
接してくれる人たちが
いるんだって感じた。
病人になって
幸せだと感じることは
人の優しさに
触れられることだ。
「私をサポートしてくれて
本当にありがとう」って
心の底から思った。
無力で何もできない私が、
何の見返りもなく助けられる。
すごいことだと思った。
みんなが声をかけてくれて、
最後には7、8人くらいの
看護師さんたちに囲まれて、
「気をつけて帰ってね」って
お見送りをしてくれた。
この瞬間は感謝で
心がいっぱいになった。
そして1時間後に
電話がかかってきた。
担当してくれた
看護師さんからだった。
「まだ少し頭が痛いけど
大丈夫そう」
「今日ぐっすり眠ったら
きっと治る」って伝えた。
「皆さんにありがとうございましたと
再度伝えて」とお願いした。
「そんなこといらないのに」じゃないけど、
「別に大したことやってない」
「普通のことをやったまでだ」
というような感じの返事だった。
あんなにも良くしてもらったから、
私はひとり盛り上がって
「ありがとう!」と
たくさん伝えたけど、
いたって普通の反応で
ちょっと寂しかった(笑)
でもそうか、、
看護師さん達からみたら
日常の出来事。
そっか、、
そうだよな、、と思った。
でも一つ学んだ。
看護師さんたちは感謝されるために
やっているんじゃないんだって。
目の前で死にそうな人がいたら
助けることは当たり前のことなんだって。
すごいなって思った。
患者さんを思いやって
あそこまで声掛けをして、
温かいサービスをしてくれるところは
本当にすごいと思った。
そして私も考えた。
最近noteで
自己発信を始めた。
「いいね」をもらえることは
ものすごく嬉しいけれども、
そこを目的にするのは
なぜかしっくりこない。
人から評価されたり、
「ありがとう」と
言ってもらったりするために
文章を書いているのではないのだと感じた。
ただやりたくてやっている。
他人からの評価はおまけでしかなくて、
私のメインの目的は楽しいから。
もちろん他人からの評価は嬉しいけど、
飛ぶほど嬉しい!とかではなくて、
ありがとう!くらいなんだ。
お金をもらうことも嬉しいし、
評価されることも嬉しいけど、
ただ好きでやっているがメインだから、
その周りについてくるものはおまけ。
でもそのおまけがあるからこそ、
自分の好きもさらなる拡大をみせて、
好きなことを好きなだけやっていったら
もっと好きに繋がって。
周りは面白いように展開していって、
もっとその好きを追求できるような
展開になるんだろうな。
おまけにとらわれずに
好きなことを
好きなだけやっていこう。
そう感じる一日になった。