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京都と4つの想いで
私にとって京都は、まるごと聖地のような存在だ。
勉強は得意じゃなかったけど、歴史の、とくに江戸時代の幕末にはなぜか興味が沸いて中学生のころには夢中になって本やらネットやらで隅から隅まで調べた記憶がある。
中学生の修学旅行で初めて行った時の感動は今でも鮮明に覚えている。その時購入した、「誠」と書かれたTシャルはわざわざ引っ越し先にも連れてきたぐらいだ。
今となってはうろ覚えな部分が多いが、京都に行くと意味もなく心が躍るのはきっと何度訪れても変わらないのだろうと思う。
京都のちょっとした小路を通るだけで
もしかしたらここを歴史上のあの人が通ったんじゃないか…
と、うっとりとしてしまう。
だからここ2年ぐらい連続で仕事の予定が京都に入ったことは私の念が通じたとしか思えなかった。
京都はこれまでに、4回行っている。
埼玉と千葉は仕事の都合で何度も行くが特に観光して帰ってこようとは思わず車の車内と客先にしか滞在しない。
東京もよくいくが、東京が好きで行くというよりそこに会いたい人がいるから行くだけだ。
でも京都は仕事で行けるとなると最高に気持ちが上がる。仕事より先にそのあとにどこに行こうかを優先的に考える。
私にとって京都はそれぐらい特別で、聖地だ。
初めて行ったのは中学生の修学旅行。清水寺、銀閣寺と壬生郷士八木邸に行ったのを覚えている。
なにせ初めての京都だ。関東とは違う言葉の音に驚いて、同じ日本なのに何か時間の温度が違うような気がして竜宮城の世界にいるようなふわっとした感覚になったのを覚えている。
2回目に行ったのは、確か19歳か20歳ぐらいの時。
当時付き合っていた彼といった。金閣寺と西本願寺、嵐山に行ったような気はしているけど正直そこまで記憶にない。私が京都に行きたいと行ったけど、たぶん私の熱量と彼の熱量が違いすぎて居心地が悪かったんだろう。
それから28歳の時に久しぶりに仕事で京都の宇治の方にいった。前日に静岡で仕事をして、そのまま名古屋に泊まり、次の日に京都に入った。
京都での仕事は金曜日で、せっかくだったら泊まりたかったけど土曜日に別の仕事があったから泣く泣く金曜日のうちに帰った。
それでも16時ぐらいに仕事が終わって、そこから急いで伏見稲荷大社、清水寺、法観寺、安井金比羅宮、祇園、京都タワーと思い切り楽しんだ。
祇園では海外からの旅人に交じって舞妓さんがはんなりと歩く姿にうっとりして日本に生まれた事を誇らしく思った。
急ぎ足だったけど、初めてひとりで来た京都はそれはそれは楽しくてたった5時間の滞在だったけど心はホクホクして帰りの新幹線は夢見心地だった。
そんな思いが天に通じたのが、翌年も京都で仕事が入って初めて南座へいった。仕事が終わったのは18時ぐらいだったからはやりのクラフトビールをはしごしがてら川沿いをゆっくり歩いた。
趣のある街並みを、オレンジ色の温かい光が照らし風情とはこのことだと思った。やはりひとりで来ていたからゲストハウスに泊まって次の日は嵐山に行き、新緑の美しさを楽しんだ。
初夏の京都は本当に美しい。緑色が淡くて、まだ夏本番を迎える前の優しい空の青色によく映える。
嵐山には以前も来たが、一人で心の向くままに楽しんだ今回の京都は、前回の嵐山での記憶とはくらべものにならない程、満たされた。
大人気の鯛めしがおいしすぎてお腹がはちきれる思いをしながら、西本願寺で優雅に新幹線までの時間をつぶしたのが最高のリフレッシュだった。
京都通と呼ばれる人からしたら、たかだか4回来たぐらいで大きな顔をしないでほしいと思われるかもしれないが年に何回も旅をする新しい物好きで1度訪れた場所を選ばないようにしている私からしたら仕事とは言え結果としてここ2年京都に足を運んでいるのは「ご縁」以外の何ものでもない。
京都に来るたびにはんなりとした気持ちに浸るから、歴史のあるものを大切にしようという気持ちがより大きくなる。
京都は魔都と称される事もあるが、私にとっては京都は悪魔的な魅力さえ感じる。心をとらえて離さない。
京都の仕事は、5月ぐらいに入る事が多いけど今年はどうなるだろう。
少し期待しながらカレンダーを眺める。