カメラの先には私だけの景色がある
写真を撮るのは比較的子供のころから好きだった。
私が子供のころは、まだスマホはなかったしデジカメはまだちょっとお高い存在だったから、学校の修学旅行や友達との記念で写真を撮るときはインスタントカメラを使っていた。
富士フィルムの写ルンです。
どれぐらいお世話になったかはわからない。
間違えてシャッターを切ってしまって何を撮ったのか分からない1枚だったり、手振れでボケボケ顔がのっぺら坊になっている写真。どれも家族の笑顔を誘って愛おしくさえ思えた。
近くの写真屋さんにインスタントカメラを持って行って現像させるまでの1週間のワクワクドキドキ感はきっと今の便利な時代では味わえないほどお母さんから写真を受け取るときの高揚感は忘れられない。
だからこそ私は写真を撮るのが今でも好きなのかもしれない。
特に旅先でとる写真は、どれもその時の記憶を焼き付けるための必須アイテムだ。
美しい景色は、自分の目にだけ焼き付けておけばいい。なんて人もいるけど、私は自分だけでこの美しい世界を独り占めするのは惜しいと思ってしまう。
私の目に映るこの美しい景色は、カメラを通すことで私以外の人も見ることができるのだ。これほど素敵な事はないと思う。
景色なんて誰がとっても同じ。そんな事は絶対ない。だったらカメラマンなんていらない。
同じ景色を見たって、同じカメラで撮ったって、撮影している人が違えば景色はガラリと変わるのだ。
なぜなら、広い景色のどの部分が一番美しいと思って、どの角度が一番演出的かは人によって違うからだ。
例えば、私が持っているミラーレスは明度とか彩度を変えられるけど、きっとちょっと暗くシックに撮りたい人もいれば明るく華やかに撮りたい人もいるわけだ。
同じ景色を撮影したって、カメラの先に見えるのは私だけの景色なのだ。
だからこそ私は旅をしてその景色をカメラに収める。
その時の私の感情すら、カメラの中にそっと記録できて、写真を見返しただけで旅の中にいる私の気持ちがぶわっと今の私に流れ込んでくる。
その度に
あぁ。旅がしたい。
そうやって私の旅欲を掻き立てる。
今はスマホでもデジカメでも簡単に写真を撮れるようになった。私はミニマリスト旅が好きだから、なるべく荷物は増やしたくないがそれでもミラーレスカメラは必ず連れていく。
最近GoProも仲間入りしてしまい、どんどん撮影アイテムが増えているのが悩みの種でもある。
それでもカメラを持たない旅は私にとっては論外だ。
私の切り取った景色を見て、どこかの誰かが
旅に出たい。
そう思ってくれたなら、ちょっとしたカメラの重さぐらいどおって事ないのだから。
そして、最低ひとりは必ず私の写真を見て旅に出たいと思うのもわかっている。
そう。私だ。
私は、私の旅欲を掻き立てるために写真を撮る。
そして、あと1人や2人、私の切り取った景色を見て旅に繰り出したのならもう1台カメラを追加してもいいぐらいの費用対効果だ。