義経と芭蕉と平泉
もうこれは7年も昔の話だ。
8月15日と言えば、全国共通でお盆休みで、どこに行ったって混んでいる。私は旅は大好きだけど、人込みは大嫌いで、だから長期の全国的な休暇は家にいたいと思うタイプだ。
特にお盆休みなんて子供も学生もいるから下手に観光スポットなんかに行くもんじゃない。
そう思って夏休みはほぼほぼ家にぐーたら過ごす。
けれどこの年はどうしてもどこかに出かけたくなった。
だから日帰りで行けて、子供も若者も少なそうなところを探した。
そして白羽の矢が立ったのが岩手県の平泉町だ。
2011年に世界遺産に登録された「平泉の文化遺産」は日本で独自の多様な寺院・庭園及び遺跡が状態の良いまま残されているそうだ。
状態がイイだかなんだかは、正直私にとってはどうでもよかったが、世界遺産である事や、毛越寺が当時のJR東海のCMに使われていた事、そして教科書で散々暗記させられた中尊寺金色堂がある事もあり平泉に決めた。
実際に行ってみると、良くも悪くも思った通り人は夏休みにしては少なく私の倍ぐらいは生きているであろう旅人たちに混ざってのんびりとした夏休みを過ごすことができた。
もう7年も前の事だから、いろいろと記憶はうっすらとしてきているけどはっきり覚えていることが「源氏」と「芭蕉」というキーワードだ。
ここ平泉はかの有名な源義経の最後の地としても知られている。
義経が牛若丸と呼ばれていた幼少を過ごしたのが、奥州藤原氏が一大勢力を誇った地域「平泉」だ。
のちに兄である源頼朝に追われる事になりに再び「平泉」に戻ってきたものの、結局頼朝のプレッシャーに負けて義経は自害、奥州藤原氏も滅ぼされてしまった。
とはいえ、この土地で義経が大事にされていた事は感じられた。
平泉にある高館義経堂は義経が自害した場所と言われているが、私が訪れた当時も祭られている義経の木像はしっかり手入れがされていて綺麗だった。
あまり人が訪れる事も少ないだろうに、きっとここに住む人たちがこの地を故郷のように思っていた義経を忍んで手入れを怠っていないんだろう。
高館義経堂からは北上川や束稲山が望める。とても美しい景色だった。
義経のお堂とは反対側にひっそりと佇んでいるのが松尾芭蕉の石碑だ。
奥の細道で有名な松尾芭蕉はこの平泉の地で2つの句を詠んだといわれている。
その一つが「夏草や 兵どもが 夢の跡」。日本人であればだれでもぼそりと口ずさめるこのセリフを松尾芭蕉はこの平泉の地を眺めて奥州藤原氏と義経を憂いて詠んだ。
炎天下のなか散々歩き回ったおかげで最後には熱中症でふらふらになったのを覚えてる。何もなかったけど、それだけ夢中になって私を歩かせる魅力だけはあったのが平泉だった。