私の世界は知ることで作られる
何かを得るためには、何かを犠牲にしなければいけない。
私にとってこれは当たり前の事だったから、なんの疑問もなく新しいものを手に入れたいと思ったときには捨てるものを探していた。
人には器があって、その器からあふれ出す程の「モノ」を得ることはできない。だから表面張力でギリギリ溢れないぐらいに手に入れる「モノ」を管理してきたつもりだった。
そういう風に思っていたから、25歳までフリーターでいた。
旅をするなら、キャリアはは捨てなきゃいけないって思っていたから。
昔の私は旅することと働くことは対極線上にあった。
旅は自由で、仕事は私から自由を奪うものでしかなかった。
それでも私は、仕事が楽しいという事は知っていた。高校生からアルバイトをしていたし、時給860円のくせに最高で月に8万円近く稼いだこともあった。
だから働くことは好きだけど、それよりも大好きな旅をするにはキャリアは諦めるしかないと思っていた。
そんな私の世界のカーテンが開いたのはふとどこかで見つけた「旅を仕事にする」そんなありきたりな言葉だった。
今まで私は旅をしながら働くという方法を知らなかった。だから、旅をするためにはキャリアを作るなんて不可能だと思っていた。
無知は罪だ。
知らない事を人は恐れて、怖い事は避難して否定する。無知だから、自分の知らない事だから怖くて信じられなくて、誰かの希望とか夢とかを「親切」っていう言葉にかくして踏みにじる。
きっと私もそうだったんだろう。だからこそ旅と仕事のどちらかを選ばなければいけないんだって思ってた。
でもそれは、ただ無知なだけだった。
勇気をだして未知に飛び込んでみれば、案外世界は明るく開かれる。
何かを得るためには、何かを犠牲にしなければいけない。確かにそれは正解だ。でも、何かと何かをどう決めるかは知っているか知らないかで自由度が大きく変わる。