寺子屋先生は見た! ③
「令和 習いごと事情」
地方の町で学習塾を運営し始めて20年ほど。自分の子と塾で関わる子ども達との年齢差を感じ始めた頃からハートフルコミュニケーションで普遍的な子育ての軸を学び続けている。
さて、今回の「寺子屋先生は見た!」は、子どもたちの習いごと事情。
最近の子どもの習いごと。コロナで家からなかなか出られない時期が3年ほど続き、やっと第5類となってから1年余り。子どもたちの生活が変化し始めているように感じる。元に戻ったという以上に、弾みがついた感じとでもいおうか。
コロナで学校が休校となったり家族の発熱でさえも登校停止となったり、子どもたちが家から出られない状況が続いて嫌気がさしていたのは、もしかしたら子ども以上に親の方だったのかもしれない。その反動なのかどうかはわからないけれど、昨年から家を出てもろもろの習いごとへと通い始める子が明らかに増えてきた。
この秋、保護者の方々から他に通っている習い事を教えていただいたが、今の習いごとは種類が豊富。野球にサッカー、水泳、ダンスはもちろん、空手、バスケットボール、バドミントン、スポーツチャンバラ、体操、新体操、チアダンス、バレエというのが体を動かす系。音楽・芸術系はピアノ、歌、バイオリン、お琴、ギター、絵画、習字。学習系は、プログラミング、そろばん、英会話、そして学習塾も目的に合わせていろいろ使い分けがされている。うちのような学校の勉強向けの学習塾と受験のための学習塾がある。両方通う子ももちろんいる。
そうそう、いまわが町で急速に増えているのが「放課後デイサービス」。これは、地域によって参加資格というか通う条件が異なるらしいが、各所いろんな特色があるようだ。遊び、器械体操、料理、学習支援等々。自治体等の支援を受け、送迎付きでこれらのサービスを受けられるなら働くお母さんにとっては非常にありがたいシステムだろうなと思う。
そんなわけで、今どきの子、少なくともうちの塾に通う子たちの毎日は、非常に忙しい。1人の子が習っている種類も多いし、たとえ1種類でも週に何回も通うことも多い。週のほぼ毎日を何らかの習いごとに通う子が想像以上に多かった。学習中に何度もあくびが出ちゃう子に、「大変じゃない?忙しくない?疲れない?」と思わず尋ねてしまうくらい、子どもたちの放課後は予定がびっしりだ。
うちの塾は月単位で通う曜日を変更できるが、「水泳の級が上がって通う曜日が変わったので、塾の曜日を変更できますか?」こんな連絡はよくある。あるいは、「子どもの友人の習い事が変更になって一緒に遊べる曜日が変わったので、うちの子も火曜日をお休みにしてあげたいのですが良いですか?」というのもよく聞く理由。そう、今は学校が終わった後の時間も親がスケジュール調整してあげてやっと友人と遊べる時代。親の力なくして放課後の生活は成り立たない。仕事して、習いごとの送り迎えをして、食べさせて、家事もして。すごい!の一言に尽きる。
ところで、欧米では子どもだけの登下校はありえないそうだ。誘拐や事故などの危険が日常に潜んでいるから。日本では令和の今でも多くの子どもが子どもだけで登下校している。しかしながらこの日本でも、保護者が帰ってくるまでの時間を安全に過ごすという目的で放課後を習い事で埋めているという家庭も少なくはない。習い事の先には必ず大人がいるからだ。地域や民間で運営されている「放課後児童館」や「児童クラブ」なども名称は様々だが、子どもの安全を考えて作られた仕組みだと思う。私が育った昭和の時代と明らかに違うのは、このあたりなのかもしれない。
こうしてみると昨今の習いごと事情は、子どもの好きなことをさせてあげたいという親の願望と、親が帰宅するまでの子どもの安全を確保するという二つの側面があるようだ。ただ、その裏で、費用が負担となっているのも事実。給料から月謝や保育料をひいたらほとんど残らないと嘆いていた同僚や当塾生の親御さんの言葉に胸が痛くなる。本当は子どもの帰りを家で迎えてあげたいと思っている親もいる。子育てにかかる費用のために働くのか、働くために子どもの安全な時間を確保するのか。卵が先かニワトリが先かの論争に似ている気がした。
ここまで書いてきたけれど、私は子どもがいろんなことを経験するのは良いことだと思っている。自分の子ども達も習いごとをしてきたし、私自身も3人の子どもの送迎のために目まぐるしく車を運転していた時期がある。うちの子の場合は今の生活や仕事に直結しているものはないけれど、時々当時のことを笑いながら話す様子を見ると楽しい経験だったのだなと感じる。私自身も子どもの習い事を通して新しい世界が広がった。何よりも子どもが楽しそうな様子を見ると、こっちも嬉しくなったものだ。習いごとも、結局は子育ての中のひとコマ。親の考え方も子ども側のやりたい気持ちも違って当たり前だ。目的もそれぞれだし、力の入れ具合だって家庭によって違う。やらないという選択や、もうやめるという選択だってあっていい。「やり始めたら、最後までやることが大切」という意見もあるけれど、そもそも「習いごとの最後っていつ?」とか「それは何のため?」ということも時には考えてみてもいいと思う。
この先どんな風に世の中が変わっても、親にとって習いごとを含めた「子育ての時間」そのものが楽しく幸せな時間だと感じられて、親子が笑顔で毎日を過ごせたらいいなと私は願っている。
そう思いながら「A君、サッカーの時間だからもう帰ろう!」とか「Bちゃん、お母さんのお迎えだよ~。体操教室頑張って!」と今日も子どもたちを見送っている。
現場からは以上です。
渡辺寿子
NPO法人ハートフルコミュニケーション認定コーチ