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父への「行ってらっしゃい」

はじめまして、東京の㓛刀(くぬぎ)です。
1回目の投稿は、父と私との関係についてです。
我が家の家族構成は父(87歳)、長男(高2、16歳)、私の3人です。父と私は別に仲が悪いわけではありませんが、昔からぶつかることが多く、6年前に母が他界してからは特に喧嘩が増えました。
根っこの部分では信頼関係もあるし、お互いに愛情を抱いています。でも時々、激しいドンパチが起こるのです。父は自称「口下手」と言うわりに、私との戦場では滑舌良く罵詈雑言を浴びせてきます。私も高齢者だからと言って容赦せず砲撃します。
たまに息子の前で勃発すると、その見苦しさから息子は自分の部屋に駆け込みます。後日、息子に「ああいうのは辞めたほうがいい」と諭され、一瞬反省してもまた繰り返す……、そんな調子でした。お恥ずかしい限りのエピソードですが、そんな父と私が最近とても仲が良いのです。

そのきっかけは、父が人工透析を始めたことでした。
今年の1月、父は突然腹痛に襲われ、かかりつけ医に救急で診てもらうと胆嚢炎だと判明、緊急手術で胆嚢を摘出することになりました。元々父は腎臓が悪かったのですが、この手術がとどめとなり、急遽透析を始めることに。私は慌てましたが父は前向きな気持ちで手術を受け、元気に退院しました。

そしていざ週3回、1回3〜4時間の透析通いが始まると、父の表情はどんどん翳り出しました。これまで大腸癌や前立腺癌など大病を乗り越えてきた父が、「看護師さんもみんなマスクで表情が見えない、名札もつけていないから名前を呼べない。患者同士の交流もない。普通の会話がしたいよ」とめずらしく私に弱音を吐き、その姿は哀れでこちらまで辛くなりました。
透析に向かう足取りは重く、ため息ばかり。さすがに放っておけず今すぐ私が父にしてやれることはなんだろう、不安やストレスを軽減するにはどうしたら良いだろうと考えました。

愚痴を聞く、玄関で「行ってらっしゃい」と言う、話しかける、隣で一緒にテレビを見る、などなど。いずれも些細で日常的なことですが、実践するうちに父との距離感は変化しました。
特に玄関での見送りの効果は大きいです。声のトーンと速度がポイントで、背中にやさしく掌を当てるようなイメージで、「行ってらっしゃい」と丁寧に言います。父をすっぽり言霊で包む感じです。すると父は「行ってきます」としっかり返してくれます。その時の父の安堵した表情を見ると、投げたボールをキャッチしてもらったような喜びが湧いてきました。

そういえば子どもの頃、母が私に、「どんなに忙しい時でもパパを送り出す時は玄関先で『行ってらっしゃい』って言うの」と、得意げに言っていたことを思い出しました。きっとそうすると父は満足だったのでしょう。人の心を掴むのが大得意だった母の言葉が私の記憶の端っこに眠っていたのか、「行ってらっしゃい」が成功すると、「これこれ!」という手応えを感じるようになりました。

それまでの私は、手が離せなければ「行ってらっしゃーい!」と遠くから声を張り上げるのみ。一方、父はどんな時も、「送り出す」ことを意識して、丁重にハッキリと言ってくれます。それに対して私も「行ってきます!」ときちんと答えられます。私の息子に対しても父は同じです。
父は以前からそうでした。食事をする時も料理についてはノーコメント。でも「いただきます」と「ごちそうさま」はハッキリと大きな声で言う。私が「はい」と返事しないと、もう一度言い直すほどです。父にとって挨拶は返事があって完結するもので、価値あるコミュニケーションツールなのです。年老いて人との交流が減った分、その価値観はさらに増しているようです。だからこそ私の「行ってらっしゃい」の変化は、父に「誰かと繋がっている」という安堵感を与えたのだと思います。

父が求めていたこと。そう、それは「人との繋がり」だということに気づきました。
娘に理解されない老いの孤独と不安と妻を失った悲しみ。母が亡くなってから、父は苦しんでいたはずです。私はそのことを察していながら、子育てや仕事、家事に追われる中で、きちんと向き合いませんでした。それどころか、自分の忙しさや大変さを父にわかってもらいたいと不満をぶつけ続けていました。そしてよく喧嘩をしました。
たまに父の機嫌を取るために、レストランで美味しいものをご馳走したり、お洒落なものをプレゼントしたりしてみました。でも、父が求めていたものは、そんな特別なものではなく、心をこめた「行ってらっしゃい」の一言だったのですね。

そのことが理解できるまで、ずいぶん長い時間がかかりました。弱音を吐きながら透析に通う真面目な父の背中を見ているうちに、父が求めているものが見えてきました。そして私も同様に父との繋がりを大切にしたい自分に気づくことができました。
父が老いて弱くなることは娘にとってとても切ないことですが、この調子で、父と共にする時間を大切にしていきたいと思います。

2024年6月24日
東京都/㓛刀知子 
NPO法人ハートフルコミュニケーション認定ハートフルコーチ


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