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君の歩んできた道は

東京の平沢です。
こんなふうに育つとはなぁ、としみじみ思う師走。今回は、来年4月から社会人となる長男について書きたいと思います。

小さい頃から長男は、「これ」と決めたことにしか、頑として動かないタイプでした。
親としては、いろいろな経験をさせたいと思い、小学生の頃から地域や大学の体験イベントなどに連れていきましたが、結果は大体彼が不機嫌になって終了。当時流行っていたプログラミングの体験イベントに参加したときには、教えてくれるボランティアの大学生に対して終始ふて腐れた態度を取り、帰り道で親子喧嘩に発展しました。 私は「礼儀知らずだ」と叱り、長男は「そもそも興味がなかった。それに、隣の子はできているのに、自分はできない。だから嫌だった!」と主張。

小学生時代はそんな感じで、彼の「頑固さ」や「譲らなさ」にどう向き合って良いのか分からず、悩みました。親としては「良い経験をさせたい」「多くの可能性に触れてほしい」と思ってのことなのですが、彼は興味のないことに対してはまったく心を動かさず、全力で拒むという繰り返し。

なにしろ、彼の当時の興味といえば空想遊び。ウルトラマンなどのヒーロー(怪獣?)ものが好きだったからか、ナニモノかになりきって、見えない敵と戦うといった一人遊びをよくしていました。
今、思うとその時間は彼にとって想像力を膨らませて遊ぶ、とても大切な時間だったのでしょう。私からすると、何気ない日常の一コマでしかなく、「そんなことより、様々な良い体験をさせてあげないと!」と息巻いていたように思います。

お互いの思いが平行線をたどるなかで、行き着いた答えは、「親の意図や期待だけでは子どもの心は動かない」ということ。本人が納得しない限り何をしても先に進まないと、諦めに似た境地に至りました。

そんなことが積み重なり、中学生以降は無理に何かを勧めることをやめました。彼も「オレはオレ」というスタンスで、親に相談することはほとんどなくなりました。 進学を決めるときも同じで、親が勧める学校(高校や大学)には興味を示すことなく、自分の意志を貫いた長男。
彼のしたいように任せたことが奏功してか、私たちの知らないところで彼なりの「好き」を
大切に育んでいたようです。

高校の時は映画づくり、高じて大学では動画制作に没頭していたようで、ママ友や彼の友達経由でその話を聞いたときは、驚きました。
彼が相談したり刺激を受けたり、体験を呼び込んできてくれるのは、親ではなくほぼ彼を取り巻く友達や大人で、長男はそこから自分の大事に思う世界を広げていったようです。

思うに、空想の世界を歩いていた彼が、具体的に行動する現実の世界へと足を踏み入れていった足がかりは、「人を応援すること」だったのではないでしょうか。
自分と同じように空想の世界を漂っている人を見つけると、引き寄せられるように仲良くなり、仲良くなると、せっせとその人たちの活動を「応援」。上映会があると足を運んだり、個展が開かれるとなると自分だけでなく他の人にチラシを見せて足を運ぶよう勧めたり。親しくなった自分と同じような世界観の人(しかも現実世界を突き進んでいる)を一生懸命応援してつながりをもっているうちに、彼も自然と空想世界から現実世界へと足を踏み入れて、今に至っているように思います。

「彼らしく育つこと」を、長男が自分で勝ち取った結果、今では好きなことを見つけ、自分らしくいられる仲間を見つけ、楽しそうに過ごしています。しみじみ思うのは、親の役割は「道を指し示すこと」ではなく、その時々のステージにあわせて「好きにさせてあげること、自由にさせてあげること」なんだなぁと。

「時々」というのは、心身の健康につながる基本的な生活習慣については身につくまでは親の裁量で、危険な行動や犯罪に巻き込まれないといった命にかかわることについては、高校・大学と成長する過程で徐々に彼自身の判断に任せしていきました。
それ以外は、親が子どもにこうあってほしいと思う偏った考えを押し付けないよう気を付け、情報収集をしてアドバイスをするけれど、最終的にどうするかは長男にゆだねました。そうやって、親としての役割をひとつずつ手放し任せてゆくことで、長男は自分の世界観を大事にする大人に成長していったように感じます。

現在、就職先から内定ももらって、親としては役割を終えた(大学生ともなるとほぼ金銭的な役割)気がしています。そうはいっても、彼にとってはまだ道半ば。これから社会人となる長男を見て、応援したい気持ちが湧いてきます。

2024年12月16日
東京都/平沢恭子 
NPO法人ハートフルコミュニケーション認定ハートフルコーチ


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