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「面白さ」と「人の役に立つ喜び」

インドネシアの鈴木です。
今回は、「面白さ」と「人の役に立つ喜び」にまつわる私を動かし続けるエネルギーについて書きたいと思います。

私は子どもの頃から、何かにハマると寝ても覚めてもそのことばかり。生きものにハマっていた小学生の頃は、学校から帰ってくれば地面に這いつくばって、時にはバッタ、時にはコオロギ、時にはカマキリ、時にはカタツムリと、あらゆるものをとにかく集める。モンシロ蝶やアゲハ蝶にハマれば卵を集めては孵化をさせ、蝶になるまで育てる。それも大量に!縄跳び、鉄棒、コマ回しにハマれば、朝早起きして一人で黙々と自主練。放課後も自主練。手芸ビーズ、クロスステッチにハマれば、とにかくそればかり。

大人になってからのここ10年ほどはパン作りにハマり、作りたいパンの師匠を見つけては教えてもらいに出かけて行く。気づけば本棚はパンに関する本だらけ、オーブンは2台になり、ミキシング用ミキサー、発酵器まで登場。ドハマり期は朝の2時3時に起きて、家族の朝ごはんには焼き立てパンがある、というパン屋のような生活をしていました。
このように、私を魅了する「面白いもの」は私を内側から突き動かすエネルギーです。

しかし、色々な「面白いもの」に出会っていくうちに、「面白さ」は私を動かす起爆剤にはなっても、それだけで同じ熱量を保ち続けるのは難しい、ということも分かってきました。自分の中の満足ポイントまで到達するとそれで終了してしまうのです。

それと同時に、中学生になった頃からは、「誰かの役に立ちたい」という衝動がムクムクとわいてきて、当時よく目にした、飢えに苦しむアフリカの子どもたち、というユニセフのポスターとともに、将来はアフリカに行って彼らのために何かをしたい、と思うようになりました。
当時はまだ自分が「何を」できるのかさえつかめていませんでしたが、「誰かの役に立つ」ことこそが、私がこの世に存在する意義だと考えるようになったのです。

一方、中学生になってすっかりなりを潜めたのが「面白いもの」に対する純粋な好奇心とそれを追求しようとするパワーでした。これには小学校の高学年頃から、私のやりたいことと親の希望が合わなくなったことの影響が大きく、中学、高校と、私の「あれやりたい!これやりたい!」は「そんなことで食っていけるか! 無駄なことをしてないで、もっと世の中のためになることを考えろ」で一喝され、その親のパワーを突き抜けるだけの力を当時の私は持ち合わせていませんでした。

いつしか、人の役に立ち、かつ、食うに困らなそうな、すなわち親も認める法律家を目指すようになり、海外留学中も含めて10年くらいは、人の役に立てる法律家になるんだ、と自分に言い聞かせていました。
この間、思うように結果が出ずに苦しむ私を見ていた友人からは、「なんで法律家になろうと思ったの? テレビアイドルにでもなる方がまだ想像できるよ」などと言われ、わかってないな、と思っていましたが、今思えばわかっていないのは私の方だったのかもしれません。

しかし、親も認める「世の中の役に立つ」ために頑張ることは限界を迎えます。「面白いもの」や「好き」からくる突き動かされるような衝動、自分の内から湧き出る猪突猛進的なエネルギーとは異なり、困難に直面したときにそれを克服するだけのパワーが出てこないのです。
それまで止まることのなかった私は、「どうした私?」という気持ちと、誰の役にも世の中の役にも立っていない無力感で、自分自身の存在意義が脅かされ苦しみました。

そんな私もひょんな出会いから親の大反対を押し切って結婚し、海外での生活が始まりました。
仕事も辞めて、自分の食いぶちがなくなり不安な私の気持ちなどおかまいなく、夫はとにかく私は好きなことをしてハッピーでいてくれればそれでいい、という人(残念ながら、それだけの資産はありません!)。確かに、当の本人を観察すると、マイペースに自分のやりたいことをやりたいようにやってきたように見えます。それでいて、社会と繋がり、人の役にも立っていて、お給料ももらえています。
あれれ!? 今まで私がストイックに「世の中の役に立つために頑張らなきゃいけない」それでなければ、この世に存在する意義なし、とまでに思いつめていたのは何だったのだろう?と思いました。

そこからは、数年おきに新天地での生活が始まり、現地の言葉を学び、生活の基盤を作り、仲間を作り、出産、子育てと、新たな刺激や面白さ、解決しなければならない問題、課題が満載で、日々それらに反応し、ひとつひとつ克服しているうちに、気づいたら今ここに至るという状況です。

それでも私の中にはずっと、人の役に立つことと私を動かし続けるエネルギーの両方を満たせることは何だろう?という思いがありました。というのは、私には、誰の役にも立てない自分が嫌で嫌で仕方がない、それなのにそこから一歩踏み出すエネルギーもない、せめてこの苦しさから逃れられたらどんなにいいことかと思う20代があり、もう二度とあそこには戻りたくないと思うからです。

ところがここ最近読んだ本の中で、すっと腹落ちしたことがありました。それは、まず私が情熱をもって何かを始めるためには、「面白そう」と感じることが必要不可欠。でもそれだけでは情熱は長続きしません。面白さを超えて、自分以外の誰かを喜ばせたい、人の問題を解決したい、人々の役に立ちたいという「自分以外の誰かのためになる」ことが継続には必要不可欠ということです。
「面白さ」と「人の役に立つ喜び」が相まって、自分を動かし続けるエネルギーになるのか!と長年モヤモヤしていた視界がパっと開けるようでした。

思い返してみれば、私がこの本に出会えたのも、面白そうなものを見つけて飛びつく私を誰も止めなくなったから(笑)。でも、飛びついてみたら、そこには自分ができること、役に立てることがたくさんありました。
そうやって動いているうちに、自分が面白いだけでなく、もっと多くの人が面白いと思うもの、喜ぶものを一緒に具現化していく仲間との繋がりが出来、気づいたら、「面白さ」と「人の役に立つ喜び」の中で生きていこうとしている自分がいるなと思う今日この頃です。

2024年12月2日
インドネシア/鈴木真理恵
NPO法人ハートフルコミュニケーション認定ハートフルコーチ


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