愛媛イベント奮闘記
イベントで喋りすぎて喉がガラガラになってしまう僕からのオススメを1つ。それは「龍角散ダイレクト」ミント味です。顆粒になってる龍角散をサラサラと喉の奥に流して飲み込むと一瞬で溶けて無くなり、清涼感抜群。喋る前に飲むのがオススメです。以前はシワガレ声が治るまで2日くらいかかっていましたが、半日で良くなりました。喉を使う方は是非声枯れ予防にどうぞ。
さて、2月25、26日と愛媛県で行われた「えひめハンドメイド&雑貨フェア」無事2日間ブース出展させていただきました!
感想を一言でいうならば…さいっこーに楽しかったっす(語彙力)。お客さんの数も、そして売り上げも、過去最高だったように思います。
去年までコロナで中止になっていたイベントが今年久しぶりに復活した、というのもあってか、お客さんも待ちに待っていた様子。
そんな記念のイベントに出れて光栄でしたし、初めて触れ合う愛媛の方々の笑顔に出会えて、ハンドメイドやっていて良かったなあ、としみじみ思いました。
イベントの詳しい風景や様子などは僕のInstagramやTwitterでも見ることができますので、そちらも併せて見てみてください。
今回、何故松山のイベントを選んだかというと2つ理由がありました。
1つ目は、屋内での大規模なハンドメイドのイベントとして複数回開催されているし、SNSなどでの口コミが良いこと。
2つ目は、僕が高校生の頃から大好きな正岡子規の出身地だからです。イベント出展がきっかけで、松山に行ってみたい、という10代の頃からの夢を叶えることができました。
正岡子規は「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の俳句でも有名ですよね。
俳人として名高いのはもちろんですが、日本の詩歌の編纂を行い、古い評価基準では全く見向きもされてなかった詩歌や、埋もれている素晴らしい作品や作者にスポットを当てて再評価した功績があります。
そのお陰で、今日僕たちは様々な詩歌の文化に触れることができている訳です。
僕が子規を好きになったきっかけは、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」という時代小説でした。
若くして脊髄カリエスという激痛を伴う病気になってしまい、晩年は布団から出ることもできずほぼ寝たきり状態。なのに普通の人よりも何倍も評論を書いたり、詩歌の編纂やその文章をまとめて本にしたり、精力的に仕事をしていきます。
子規が残してくれた文章は痛みを忘れるためなのか、元々子供っぽい所があるのか、日常のありとあらゆることを題材にしたエッセイが沢山あります。
評論は、どこか、古い俳壇や歌壇のお偉方に喧嘩をふっかけるような、生意気とも取られそうな文章で荒々しいです。でも「病人相手ならうるさく言えないだろう、だから好きに言ってやるのさ!」みたいなこと言ってます。
ものすごく好奇心が強くて、言いたいことがいっぱい。気になることがいっぱい、の子規。布団という約六尺の世界で身動き取れないのはさぞ口惜しかったかと思います。
そんな、限られた範囲、生命を燃やし尽くして生きた子規が、高校生の僕にはヒーローのように思えました。
僕は小学校5年生の時、担任の先生にいじめられて、学校に行けなくなりました。物を没収されたり、県のコンテストで佳作に入った僕の絵をこき下ろされたり、みんなの前で上着の色が派手だと馬鹿にされたり。
それから高校卒業までホームスクーリングをして、家の中だけで過ごす毎日。友達には会いたいのに、先生に会うのが嫌で学校に行けないのが辛かったです。そしてその想いは、まるで家に閉じ込められて出ることができない囚人のような気さえしていました。
鹿児島県の小さな離島で育ったため、転校しようにも田舎では、学校や先生に文句を言った生意気な子供なんて白い目で見られるのが相場です。どこに行こうが居場所はありません。
早く大人になって、島から出ていきたい、そんな青春時代を送っていました。(この前話したヨットの仲間に救われたのは、そんな島から出られる唯一の逃げ場所だったからでもあります)
子規は病気で辛い中、布団に縛り付けられながらも毎日文章を書き、絵を描き、楽しむ事を忘れませんでした。そうしないと生きていけなかったからです。
僕も、同じように、生きるためにエンタメを摂取し続けました。アニメ、音楽、TV、ラジオ、映画(映画館はないのでレンタルビデオ屋のVHSが頼みの綱)、小説、児童文学…
毎日絶望の中にあって、それらのエンタメが心を慰めてくれました。そんな自分の姿と子規が重なったのかもしれません。
今回正岡子規博物館にいって、憧れだった子規の創作物を生で鑑賞しました。坂の上の雲や、子規を研究した本に出てきた資料の本物が、目の前にある感動。
しかも、子規が小さい頃絵のお手本にしていたのが北斎漫画だった、という事実も今回初めて知りました。
正に今、僕がハンドメイドでテーマにしている葛飾北斎。ここにもこんな繋がりがあったなんて…鳥肌が立ちました。
ああ、僕はきっと子規のように生きたいんだな、と改めて再確認しました。
仲間に恵まれて、人が大好きだった子規を育んだ、松山という土地。
えひめハンドメイドのイベントでも、中々ないような奇跡的な出会いが沢山ありました。それは、松山という土地が持っている暖かい空気のおかげだったのかもしれません。
宿泊した道後温泉もとっても素敵な街並みが広がる中にあって、温泉もとっても気持ちよくて大満足でした。
是非四国松山に皆さんも足を運んでみてください、そして是非正岡子規の世界にも触れて見てくださいね。
司馬遼太郎著/坂の上の雲