愛されていない。という愛
表題の通りです。
愛って何でしょうね。
受け取れなかった愛が実は大きな贈り物だったり。
逆もまた然りってこともありますよね。
そう考えると、愛って何なの?誰がくれたの?
といったお話。
視点で変わる愛
野鳥が小鳥に餌を与えるため、親鳥のくちばしで小さくしてから小鳥に口移しする行為。人間的な視点から見て、愛情に見えると思います。
では、人間の親が子供が食べやすいよう一度細かく嚙み砕いたものを与える行為。これはどうでしょうか。
ある視点からみると、これは子を想う愛にあふれた行為に見えます。別な視点からだと、無垢な子供の口腔内に虫歯菌を移植する虐待とも映ります。
どちらを採用するのも自由ですが、そもそもこういった視点が無ければ選択肢すらありません。様々な視点を持つ事で、物事の捉え方が変わります。
もっと言うと、愛や幸福を選択するか、憎しみや苦しみを選択するか選ぶことができます。選べることを知るだけで、世界が変わります。
様々な視点についての記事はこちら ⇒ 新しい知識
愛のかたち
甘やかすだけが愛でしょうか。手助けする事だけが愛でしょうか。
突き放す愛もあります。もっというと、愛さないという愛もあります。
抽象的ですね。そもそも愛という概念自体が抽象的なので、愛についての話は抽象度が高くなりがちです。
ここで言う愛とは、その後の人生をいかを豊かに過ごせるか。といった観点からお話します。
愛という視点
虫歯の多い人は愛されていた。以前そんな話を聞きまして、それから愛というものの捉え方に変化がありました。
噛み砕いた食物を子に与えることで親から子へ虫歯菌が伝染ることをご存じでしょうか。現代では常識になっていますが、私が子供の頃は知らない方のほうが圧倒的に多い。そんな時代でした。
幼児が噛み砕けない食べ物をお母さんが噛み砕いて食べさせる光景は見慣れたものでした。
恐らく私もそうだったのでしょう。幼少期は虫歯の多い子供だったことを覚えています。しょっちゅう歯医者さんのご厄介になっていました。
ドリル痛いんだよね。
虫歯菌が伝染る。と知ってからは恨みにも似たような気持ちを持っていましたが、そもそも虫歯の発信地は母から子への愛。そして思いやり。ここに目が向いてから、あらゆるものの見方が逆転を始めました。
みんな、愛なのかもしれないと。
そして、愛は人から与えられるばかりではないと。
愛されないのも愛
親に愛されなかった。そのせいで私は不幸だ。
それもありでしょう。というか、親ガチャは存在すると思います。
ただし、それは現象の一部分を切り取った一つの側面に過ぎません。
なんて言うと荒れそうですね。
しかし繰り返しますが、私の虫歯は母の愛が発生源です。思慮が浅かろうと深かろうと発生源は愛です。
逆に、親から全く愛されず、食事も適当で人格も否定され続けたような親ガチャハードモードの方、親からの愛を受けていない代わりに健康な口内環境。生涯虫歯ゼロ。更に毒親から離れるために自分一人で生きていく術を模索し続け、しぶとく諦めない人格が育つ。
そんな可能性も秘めています。逆もまた然り。
お世話になっている経営者さんがまさにそんな環境で育っていまして、少年時代はとにかく苦労の連続だったそうですが、今では健康で充実した人生を送られています。歯も丈夫。お金持ちの気持ちも貧乏人の気持ちもよくわかる。親分肌の素敵な社長さんです。
今では親御さんを始め、生まれた環境には感謝しているそうです。
なにより人を絶対に蔑ろにしない。素敵な人格をお持ちです。
超かっこいい。
愛はどこでもらえるの?
まとめましょう。
虫歯だらけの歯も虫歯ゼロの歯も愛によって育まれました。
虫歯は母の愛から発生しました。
では、虫歯ゼロは何がくれた愛でしょうか。
愛とは、環境です。環境から発生します。
「無関心な毒親という環境」が虫歯ゼロに繋がったとして、虫歯のない素晴らしい口内環境を与えてくれたのは「無関心な毒親」に端を発する「環境」です。毒親に感謝しなくても良いと思いますが、環境そのものに、その後の可能性を大きく広げる力が眠っています。
よく言う捉え方次第ってやつですね。
いろいろ反発もあるでしょうが、視点の広さで感じ方は変わります。
視点を広げるには脳と神経を鍛えるのが手っ取り早いでしょう。
運動して脳と神経に刺激を与えて、脳神経の配線を変えてしましましょう。
心拍数を上げろ❤
今回は虫歯で例えましたが、その愛を与えてくれた対象が意識的でなくとも、例え相手に愛が無くとも、その結果起こった現象は愛です。
つまり現象そのものが愛です。
愛を与えてくれる対象は人だけではありません。
というより、現象が愛そのものである事がほとんどかもしれません。
もっと言えば、自分を大切にする気持ちが、全ての現象を愛に変えます。
愛は現象で状態です。結局は感じるものです。貰うものではないし、与えるというのもおこがましいですね。
愛を感じる心を持ち合わせていますか?
あなたの周りにいる方は愛を受け取れる方ですか?
お金や仕事、人間関係などにおいて、親に抱いているイメージが現象として顕れていると言われますが、それらを根本的に覆せるのが「現象」が愛だと認識する事だと思っています。愛はもらうものではなく、愛という現象に気付くものです。
奇麗ごとに聞こえるかもしれませんが、目を塞いでいる限り永遠に奇麗ごとのままですよ。
愛を感じる力は鍛えられます。
世界に溢れる愛にどれだけ気付けるでしょうか。
その数が多いほど、豊かな人生と言えるのではないでしょうか。
今回はここまで。最後までお読み頂き有難うございました。
世界には愛しかないのかもよ?