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私の大切な最小単位に彼はいないし、彼の大切な最小単位に私はいない

ここのところ、
家族に心配なことがおきて、
仕事や日常を、ただ淡々とこなしていました。
大きい不安な気持ちが常にあると
現実との間に透明な壁ができたようになり
全てのことに現実味がなく、
でも、不安を少しでも忘れるために
日常に没頭するほうがきっと楽で、
だから淡々と。

ただ、彼のことについては
それどころではなくなって
少しお休み。
というよりも、
私には贅沢品だったと
諦めるという方が近いのかもしれません。
目の端に映る彼を見ないふりをするように、そっとやり過ごしていました。

好きな気持ちはずっとあって、
遠くから見える姿に元気をお裾分けしてもらっていました。
一番不安な時に何気なくくれた小さなお菓子を眺めていたら、
少しほっこりとして
少し元気がでて、
食べれなくてカバンに入れたまま
子供に、あ!それ食べていい?って言われるまで、
お守りのように数日持ち歩いていました。
お菓子と優しさと、元気をくれてありがとう。
自分からは何もしないけど、
遠くから時々見える頑張っている背中をみて
頑張ろうと思えた。

思えば結婚してすぐの頃から今までずっと、
DV気質な人と、夫婦でいるということは、
不安や悲しみは常に日常のあちこちにあり、
ベースでもあり。
子供が産まれて、もちろん
笑ったりすることや幸せな瞬間は
たくさん増えたけれど、
いつだって不安や悲しみを心に小さく押し込めて暮らしていました。

子供たちが育ってくると、子供も他の家とは違う何かを感じ取るようになってきました。
DV気質な人が家族がいることは、常にピリピリとした空気をうみ、幼いながらも空気を読み、
悲しみは見ないふり聞かないふりでやり過ごす時があったり、
生活費が充分にもらえないことで、必要なものが足りなかったり余裕がなかったり。
父親がいないよりもいる方がよいかも。
母子家庭でお金にさらに余裕がなくなるのは大変かも。
その選択のせいで子供たちにも大変な経験をたくさんさせてしまいました。
それが根本的な起因となって、
大きな悲しみやハプニングが、他の家族に比べるととても多い人生となってしまいました。

大変なときは、子供たちと一緒に、そっと息を潜めて日常を送り、
諦めるとか、忘れるとか、逃げるとか。
夜にみんなで食べるお菓子や、自然の中を歩いて深呼吸したり、ペットを飼って癒してもらったり。
そんな小さな幸せを幸せとしっかり思うこと。
一緒にいるだけで幸せと感じること。
大きな不安は数年頑張れば解消することを、経験してきたから、きっと未来は大丈夫と、みんながわかってきたこと。
今も実は大きな問題が一つ解決できないままではあるのですが、きっと未来は大丈夫だから。
今もきっと幸せだから。と思うようになってきています。

悲しいことを経験すると、その分人は優しくなれます。子供たちも苦労してきた分、人にも自分にも優しい、心の広い人に育ってくれました。
そして、今回の悲しみについても、
なんとか乗り越えようとしてくれています。

幸い心配なことは、一旦保留となり、
現実との間にあった透明な壁はなくなりました。
だけど私が守るべき一番小さな最小単位はいまのこの家族だったことを、
思い起こされたなあと思いました。
家族の幸せが、毎日家族が笑って平穏無事に毎日暮らせることが、1番大切なことで、
それがあればとにかくあとは、何もいらない。

そこが安定して満たされて、はじめて、
自分の幸せだったり、人を好きになる気持ちが生まれたりするものみたいです。

いまは目があっても、前のようなウキウキが戻ってこなくて、悲しいような、寂しいような気分でそっと目を伏せます。
好きなんだけど、大好きなんだけど、
私には贅沢なおまけだったんだ。
叶わない恋なのはわかっているけれど、
好きになってしまっていることすら正しいのかどうかわからなくなった。
自分から行かないと彼も来なくて、
でもそうすると、寂しさが溢れて
気にしないように仕事に没頭していました。

そんなカチカチに自分を防御し、制限をかけて、固まってしまった心ですが、
目の端に映る、彼の姿。
こちらを気にしてくれていたり
お仕事を頑張っている背中を見ると
少し心がほぐれていくのがわかります。
いまは、彼からもらう温かい気持ちが
前に進むためのパワーとなっています。

最小単位ということを説明すると
例えば、うちには数年前から車がありません。
ないよりはある方が幸せなのは確かです。
お買い物は時短になるし、雨にも左右されず、家族が怪我をしてもすぐに病院にいくことができます。そして色んなところに気軽に出かけて思い出もたくさんできます。
しかし、ないことを悲しんでしまうと幸せになれないので、その部分を削ぎ落とします。
自転車があるし、カーシェアリングすれば良いし、車がなくても幸せは幸せだよね。
こうして無いものを欲張らず、じつは諦める作業を繰り返して現れたミニマムな、最小限の幸せが
みんなが生きていれば、一緒にいれたら、笑っていれたらとにかくオッケー。
ということだったのです。
だから本当は、
そんな仙人のような考えを持たなくて良いように、
そこにもっと肉づけをして欲張れる人生のほうが楽しいし、
成績アップや子供の将来を考えて塾に通うとか、みんなでキャンプに行くとか、
できる家庭のほうが幸せなのかもしれません。

恋もそう。
だけどそれは足りない部分でもあり、削ぎ落とすほうが幸せでいられるのではと思ったんです。
叶わない恋だからこそ。

いまの小さな幸せに、どんどん肉づけをしていくことで、家族の幸せを大きくすることが、これからの人生の目標でもあります。
でもいまは、まずはこれだけの幸せを。

私の大切な最小単位には彼は入らないし
彼も持っている大切な最小単位には私はいません。それに気づいてしまったけれど、
オプションのようなおまけが、肉づけが、贅沢品が、時には前に進む原動力となってくれることにも気づいた出来事でした。








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