「臨機応変なコミュニケーション能力を楽しく育てる」 発達障害専門 アナログゲーム療育アドバイザー 松本太一さん
大学から一貫して発達障害を専門に勉強し、放課後等デイサービスで幅広い年齢の子供たちを対象にゲーム療育をされている「アナログゲーム療育アドバイザー」松本太一さんにお話を伺いました。
松本さんプロフィール
□出身地:東京都
□活動地域:全国
□現在の職業及び活動:アナログゲーム療育アドバイザー。カードゲームやボードゲームを用いて、発達障害のある人のコミュニケーション能力を伸ばす「アナログゲーム療育」を開発。療育機関や就労支援機関などで実践するほか、各地で講演会や研修会を開催している。
□座右の銘:正射必中
「子供一人ひとりの違いに合わせた療育を考える」
記者 本日は、よろしくお願いします。
松本さん(以下、敬称略) よろしくお願いします。
記者 まず、松本さんは、どのような夢やビジョンをお持ちですか?
松本 あんまり先の夢っていうのはないですね。5年後、10年後にどうなっていたいかというプランは決めないんです。たとえば、5年以内に自分の教室を持ちたいとか、20年後に全国にアナログゲーム療育が広まって、学校にも導入されたいなどの目標は、僕の中には設定していないんですね。
なぜそうかというと、僕の仕事の性質と非常に関係しているんです。僕が見ているのは、発達障害と言われているお子さんなんですよ。発達障害というのは純粋な種類としても、ADHD、自閉症、学習障害という3つのカテゴリーがあるのですが、発達障害だからこう、自閉症だからこう、というカテゴリーで子供にあたると必ず失敗するんです。一人ひとりのお子さんに即して、そのお子さんが何を必要としていて、どんなやり方をしていけばいいのかを考えていくことが専門であるということなんですよ。
その子が抱えている困難や、どんな子が現れてくるかは、時代の影響を非常に受けるんですね。障害というと、昔は身体に障害があることや、パッと見て障害があるなという子が障がい者と言われていたんですが、僕が見ている発達障害の子たちは一見そうは見えないし、学校の中でみんなと暮らしているけれども、お友達とうまくいかないとか、勉強の課題を抱えている子とかなんです。
昔だったら普通にやれていた子も、今の時代だったら、空気が読めないとか、微妙なところでつまづいてしまう子が増えていて。今の時代は、非常に高度なコミュニケーションをやっていかなければいけないので、そういうところに難しさもあります。 その難しい時代に応えうる療育をしていきたいと思っています。
「ゲームを使う発想になった理由」
松本 もう一つは、僕はもともと子供の療育をやってきたのですが、その前に大人の発達障害の就労支援をやってきたんですね。大人の世界を見ていくと、健康だし真面目な方なんだけど、ちょっと緊張感が強かったり、ちょっと思い込んだ方向に向かってしまうとか、ちょっとおっちょこちょいだとか、そういう人たちが会社でうまくいかなくて、発達障害の診断を受けて障害者として訓練を受けているんです。
その背景には、世の中がグローバル化、IT化で、スピードが速く複雑化しているので、決められたことを決められた通りにやる仕事ならできていたはずが、ほかの人たちへの影響を気にしてやらなきゃいけなかったり、ミスのない100%の仕事が求められたり、いろいろな条件が高度になってきていて、極論、先祖代々の田んぼを耕して暮らしていた生活では全然問題なかったであろう人が、高度なコミュニケーション能力や、先の見通しを持てる力を要求されていて、そこに対応できる人は結構だけど、対応できない人が大変になっている。
そこに応じて僕の仕事も、発達障害児のコミュニケーション訓練を専門にしているのですが、例えば10代のコミュニケーション療育では、人に会ったら挨拶する、悪いことしたら謝る、悲しそうにしている人がいたら、どうしたの?と声かける、というように、「こういう時にはこういう風にする」というパターンを教えるのが今までのやり方の主流だったんですが、今の時代に求められるのは、相当複雑なコミュニケーションなんです。
発達障害の人は1:1対応のパターンは作れるんですが、目に見えない少しずれた部分、実際の仕事ではそういうことが多いんですが、そういうときにどうしたらいいんだろうかということが難しくて、空気が読めないとか、臨機応変な対応ができないことに困難をきたしているんですね。
その状態を目の当たりにして、従来の訓練は「パターンAとパターンBがあって、正解はパターンBです」みたいな単純なことは意味がないぞと思って、どうやったら状況を見て自分なりにどう動けばいいかを想像する力をつくっていけるか、というところからゲームを使う発想につながったんです。
記者 そうだったんですね。
松本 現実の課題が多様で複雑であることを一つ一つ考えていった結果が今の仕事で、臨機応変な力をつけるのは、大人になってからでは難しいので、子供のころからの治療教育が大切だなと思い、子供の世界にもう一度戻ってゲームを開発したんです。5年前はゲームを使って療育しようなんて思いもしていなかったので、5年後どうなっているか。武術療育をやっているかもしれませんし(笑)。それが現実に向かい合って出した結論だったらやったらいいと。今は、ゲームというツールに非常に可能性を感じていて、日々日々ベストを尽くしています。
「幅広い発達段階の子供たちが、楽しくコミュニケーションを学べる」
記者 活動指針と、どのような基本的な活動をされていらっしゃるのか、お聞かせください。
松本 メインフィールドとしては、ここ数年非常に広がってきている放課後等デイサービスという施設。お子さんが学校が終わった15時や17時に通う教室です。ここに通ってくるのは基本的には障害があるお子さんです。僕はそこに行って、子供たちとグループを組んで一緒にゲームをやって、子供たちがどれくらいの成長段階にあって、どんな課題があって、どうアプローチしていけばいいか、ゲームの中で子供たちが学んでいくこともありますし、その中で見えてきた課題を職員さんたちに共有して、職員さんが学校や福祉センターに報告して、どういう風にその子の問題を考えるかというきっかけを作っています。
ゲームというのは、ルールに基づいてその中で活躍していくということですから、社会生活で基本となるエッセンスが詰まっているんです。それで、たとえばゲームに負けてかんしゃくを起こしてしまうなどは、だいたいゲームじゃなくてスポーツでもそういうことが起きますし、そういうことが見えてきます。
逆に言うと、療育は大人と1:1で対面式でやるのが基本なんですが、そういう意味で僕は基本から外しているのですが、大人とその子だけでやっている分には大人はプロですからうまくやるんです。それが、子供だけになったときにいろいろと起きるので、それを子供だけに放っておくんじゃなくて、大人もちょっと介入してあげる。ゲームのレベルもその子に合ったものをグループで行うんです。
療育でゲームが使えるのは、子供の興味が向きやすいビジュアルで、集団参加に不安があるお子さんでも参加を促しやすいことがあります。それぞれのゲームにストーリーがあって、ゲームに入りやすい形になっています。
記者 ゲーム自体は市販のものなのですか?
松本 はい。僕のやっているゲームの特徴は、オリジナルのものは一切ないんです。市販されているゲームを使ってやっています。僕が持っているのは300種類くらいです。
記者 そんなに持っているんですね!松本さんがゲーム療育を始めたきっかけは何ですか?
松本 大学院で療育を専門的に学んだんです。そこから大人の就職支援に行ったときに、臨機応変なコミュニケーション能力が求められているということを痛感して、子供のころの療育が大切だと思って、放課後等デイサービスで働き始めたんです。放課後デイサービスは10人ほど来るんですが、0歳から18歳くらいまでが、毎日2時間くらい来て、みんなで仲良く楽しく、しかも成長できるコンテンツというのは難しい。例えば、「泣いている子がいます。どんな声をかければいいですか?」のような今までの療育のやり方では、言葉が出ていない子には難しいですし、逆に小学校6年生で知能I Q130くらいあって、頭が良すぎちゃって周りの子はつまらないから不登校という子もいるんですよ。
ゲームの幅と種類によって、下は2歳代から上は18歳まで、幅広い年齢の子たちが楽しく安全にできる。スポーツやお料理、工作もいいですし、もちろんやっているんですけど、安全という問題があってそれなりに大変な準備がいるんです。ゲームは基本的に、それをやっているだけでは物理的な危険性はありませんし、安心感があります。いかに幅広い発達段階の子供たちが、楽しくコミュニケーションを学べるか、そのツールが何かという現場の要請からゲームが出てきました。それがきっかけですね。
「子供のころ、字を書くことが苦手だった」
記者 なぜ大学院で療育を学ばれたのですか?
松本 私が行った中央大学の総合政策学部は、特定の学問を学ぶのではなく、何らかの社会課題を解決しようという新しいコンセプトでできた学部で、何の問題に取り組んでいますか?ということを一人ひとりが考えるものでした。
ゼミでは、法律学の専攻でしたが、インサイダー取引の問題をやっている人もいれば、フリースクールの問題をやっている人もいれば、税制改革をやっている人、刑法を追及している人もいて、そんな中で、僕は何をやろうかと考えたときに、当時2000年頃は発達障害が存在するとようやく世に知られてきた時期だったんですね。今まで障害児といえば、特別な学校に行って、見た目ですぐわかる子なのが当たり前だったのが、実は一見普通学級にいるんだけど、特定の分野がすごく苦手な子がいることが知られてきた時期だったんですよ。
そこに興味をもったのは、僕自身子供のころに、字を書くことがすごく苦手だったんです。その当時は1980年代ですから、今だったら学習障害の何らかの支援があるかもしれないんですが、当時はなくて、中学校の夏休みの宿題で日記を書くのに、鉛筆で書くのが嫌だからワープロで書かせてくれと言ったけどダメだった経験がありました。今の現代では、発達障害として書くことに問題があるから、ノートの代わりにiPadで受けさせてくれというのが良かったり悪かったりしているんですよ。
僕がかつて経験したところにシンパシーもあって、発達障害がある子たちの親御さんの会の託児に学生ボランティアとして入っていたんです。そうすると、僕が子供のころと同じ課題を抱えている子がいて。ようやく知られ始めたとはいえ、制度的な裏付けがあるわけではなく、支援をお願いしてもできませんと言われる。2006年にようやく法整備があって体制ができあがったんですけど、その前の話です。
これから必要なことなので専門的に勉強しようと思って、東京学芸大学大学院の障害児教育の専攻に行きました。そこで勉強して、そのあと小学校の心理相談員になって、ちょうど僕が入った年に発達障害のある子たちへの特別支援教育が法制度としても始まって、先生たちもどうしていいかわからない、そこに大学院で専門を勉強してきた僕が来たから、新米なんだけど重宝がっていただけて。やっていくうちに、学校では僕らが支援するからうまくいくんですが、このまま大人になったらやっていけるのかな、大人の世界はどうなっているんだろうと思って、大人の就労支援に行きました。
そしたらやはり臨機応変なコミュニケーション能力が求められて、そこについていけないという人たちの現状があり、そこをどうしていくかということで放課後等デイサービスをしながらこれを開発したという流れです。
記者 最後に、読者の方へメッセージをお願いいたします。
松本 僕の話の背景には、ピアジェという心理学者の理論が軸になっています。人間がどんなふうに発達しているのかを緻密に言っているんですが、人間は、自分から環境に働きかけて自分の生きやすい環境をつくっていく存在なんだ、つまり、自分が能動的に環境に働きかけるというのが、根本にあると。例えば、のどが渇いたから水を飲むというのも、自分から環境に働きかけて自分の欲求を満たしているんです。
自分から働きかけるということが、あらゆる自分の成長や幸せにつながる。ところが、まさにAIの時代になってしまうと、周りがやってくれる、決めてくれる、という風になりがちです。もしかしたらその結果として思ってたものが手に入ることもあるかもしれないけれど、それは自分の力で手に入れたものではないから、いつ失うかわからない。結局、不安がなくならない。
強調しておきたいのは、突然俺が社会を変えると言うと大変なことになる。やっぱりそう簡単に世の中変わらないので、そのギャップに悩んでいる人もいるはずです。
まずは自分の身の回りのことから動いて変えて、小さな成功体験を積めれば、だんだん不安もなくなっていく。やがて自分の生きやすい環境が自分の周りにできて、その延長線上に社会が変わることもあるかもしれない。そのようなところから、始めてみてはいかがでしょうか。
記者 とても貴重なお話、ありがとうございました!
松本さんについての詳細情報についてはこちら
↓↓↓
http://www.gameryouiku.com/
---------------------------------------------------
【編集後記】
インタビューを担当した陣内、稲垣です。一人ひとりの子供たちに合わせてどんな療育をすべきかを常に考え、研究を惜しまない情熱がひしひしと伝わってきました。今回、インタビューの途中で、実際に療育の現場で使っているアナログゲームの説明もしてくださいました。どんなポイントで子供たちを観察すればよいのかなど、具体的な指導方法について知りたい方は、ぜひ松本さんのアナログゲーム療育講座をチェックしてくださいね!
---------------------------------------------------
この記事は、リライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?