「日常生活をファンタジーに変えたい」ローレフォトを制作している写真家 寅貝真知子さん
癒しや旅をテーマに、ファンタスティックな架空世界をローレフォト(写真を何枚も重ね合わせて絵のように見える写真)を制作。世界最大規模の国際フォトコンテストでの受賞経験もある、写真家の寅貝真知子さんにお話を伺いました。
<寅貝真知子さんのプロフィール>
出身地:大坂
活動地域:東京
現在の活動及び経歴:癒しや旅をテーマに、写真で架空世界を表現するローレフォトを制作。
2017年 写真集出版「New Birth Unio Mystica」 ソラノイエ社
2015年 東京とへ活動を広げる。新宿伊勢丹での美術展出展やトークショーなど経て20回目の個展を東京で開催、Panasonicルミックスフォトスクール講師
2007年 毎日放送のニュース番組出演を機に、産経新聞掲載、NHKおはよう日本や読売テレビのドキュメンタリー特集、他80回以上のメディア出演(関西中心)
2006年 心理学や人事での経験を活かし、被写体の希望や感情など本来持っている魅力を引出し、それをデジタル技術と表面の手仕上げによる新しい視覚効果で表現する肖像画、ローレフォトを考案
2005年 写真専門学校に通い渡米、写真大学で短期研修修了証取得、写真館でアシスタントを経て人物専門のカメラマンとして活動を始める
2002年 関西学院大学 文学部心理学科卒業、Panasonicで人事職に就く
1980年 大阪出身、東京都杉並区在住
座右の銘:明日起きることを楽しく思える選択をすること
日常生活をファンタジーに変えたい
記者 寅貝さんは、どのような夢やビジョンをお持ちですか?
寅貝真知子さん(以下、敬称略):日常生活をファンタジーに変えたい、というのが夢というかやりたいことです。毎日というのは日々の出来事の繰り返しだと思うのですが、日常生活の中に良い感動や面白いものとの出会いを見つけていきたいなと思っています。明日生きることを楽しみにする生き方をしたいです。
例えば月曜日に、会社嫌だなと思いたくないですよね。毎日を楽しみに過ごしたいと思っていて、そのためにどうしたらいいかを考えています。
私は小学性の頃は冷めていました。感動して泣くとか、嬉し泣きをするとか、あり得ない感じでした。それが5年生くらいの時に初めて嬉し泣きをしたんです。友達の優しさに感動して、その子みたいに優しくなりたと思いました。そして、世の中で一番大切なことは、「人」「友達」なんだと思ったんです。それから色々なことに感動するようになったんです。
中学生くらいの夢で、おばあちゃんになった時に桜を見て泣ける人になりたい、そのくらい感動できる人になりたいと、いうのがありました。
感動するには、物に対して関心を持って、それを知ったり、研究したりすることが必要だと思っています。どういうものが一番自分にとっていいんだろうと調べて、調べて、悩んでから手に入れると、愛おしくなります。手に入れた時の感動もひとしおですよね。だから、どうやったら感動するかなといつも思ってます。
記者 その夢を具現化するために、どのような目標・計画を立てていますか?
寅貝 最近はこれが夢だとか、目標とかはあまりなくて、今を楽しむというのが大きいです。こうでなくてはいけないというより、今が楽しかったらいいかなと思います。
社会人になった時は自己啓発にはまって、目標を立てて、きっちりこなしていくことや、毎日のスケジュールを管理して、今日一個でも成長できることがなかったら寝れない、という思いを持っていました。自分の良し悪しを判断していくことが安心だったのですが、それは私がやりたいことではありませんでした。
私が一番やりたかったのは楽しく生きることでした。こうしないといけないというのは苦しくなってしまうから、今は、自分に限りなく甘くしてます。何が好きで、何が好きでないのか。好きなことで日常を埋め尽くすのが目標です。
誰にも必要とされなくても、やりたいと思うことをやってみる
記者 どのような活動指針を持っていますか?また、どのような活動をしていますか?
寅貝 日々意識しているのは、今日寝て、明日が来ることが楽しいと思えるかどうかです。
明日嫌だと思う生活をしたくないんです。次の日を楽しみに思えるような選択をすることですね。自分に正直にありたいです。自分が本当にやりたいことをし続ける、その環境を整えるという事は、日々の積み重ねで決まるので、それを自分に問いかけながらやっています。
例えば、「空の2階」という作品をつくったのですが、それは、東京をリフォームしたいという思いでつくりました。私は東京が大好きだけど、東京にないものがあります。それが広い空です。私は一階に住んでいるので、夕日が見えません。広い空が見える街をイメージして、空想の街を写真でつくりました。
プラネタリウムに作品を映してもらうこともできました。そんなことをやりたいなとなんとなく思っていたら、ご縁がつながって、プラネタリウムで作品が流れるようになりました。
何かをすると思ったときに、絶対それを叶えるのだという事を、今は思っていません。絶対と思ってしまうと苦しくないですか?こうなりたいと思っていたことにチャレンジして、でもそうなれないと、とてもしんどいと思います。
絶対がなくなると、こんな事やってみたいなということを、例えそれが誰からも必要とされてないことでも、取り掛かっていると、勝手に叶っている。いつかこんなことできたらいいなと思っていたことを叶えるための準備を、勝手にしていたのだという感じになります。
記者 日常生活をファンタジーにしたいと思ったきっかけはなんですか?
寅貝 大学の時の心理学を学んだときに、一番衝撃を受けたことがあります。それは先生が、心理学とは何を学ぶのかということを話してくれた時です。
「世の中には楽しいこと、悲しいこと、半分づつあって、楽しいところだけをみて生きるのか、悲しいところだけをみて生きるのか、それは自由だよ。あるのは事実。その事実は変わらないけど、どう受け取るのかは選ぶことができる。その物の見方を学ぶのが心理学だ」と。
絶対に変わらない事実をどう感じ取って、どう生きるか。そうならば、自分が楽しいと思えることだけをみて、生きていきたいと私は思いました。今でもそれをいつも考えています。
それで初めてカメラに出会ったときに、「こんな新しい世界になるんだ」と思いました。葉っぱ一枚でも、写真の撮り方によっては、ステンドグラスのようにキラキラしたりだとか、ただのゼリーの側面でも、宝石のように輝いて見えたりしたんです。私はそういう風に見てなかっただけで、物事には全く違った一面もあるんだと知りました。
写真にはまった理由は、肉眼では見えない世界を体現できるから、それが楽しくて写真の世界に入っていきました。事実をどうとらえるかで、変わってくること、その楽しさを表現すること、今を楽しむことが、ファンタジーになると思います。
自分がゼロからつくったもので、喜ばせることをしたい
記者 そもそもカメラと出会ったきっかけは何ですか?
寅貝 社会人3年目にカメラと出会いました。当時、私は人事の仕事をしていて、組織のモチベーションに興味がありました。そこから人のモチベーション、自分自身がどうモチベーションを持って生きていきたいかということに興味をもって、みんながワクワクして働けたら、もっと良い組織になるのではないかと思っていました。
それがある日、全く知らない場所に行ったときに、知らない人に親切にしてもらい、今すぐお礼がしたいと思ったのに、できませんでした。私のしていた仕事は、目の前の人にすぐにお礼ができる仕事ではないんだと気づきました。自分が得意とすることをして、その人にすぐにお礼を返したいなと思って、帰りの電車でとても考えました。
「私は何をしているのだろう。大きな会社に入って、大きなことはできるけど、すぐ隣にいる人をぱっと喜ばせたりことはできないな。隣の人を喜ばせることが、私が本当にやりたいことなのかもしれない」と気づきました。自分がゼロからつくったもので人を喜ばせることをしたいと思ったんです。
その時私は寮に住んでいて、一緒に住んでいた人をカメラで撮ったら凄く喜んでくれて、これなら私できるなと思って、そういうことがきっかけで、人に興味もあったので、自分で撮っていきたいなと思いました。
また別な話として、私は昔から自信がありませんでした。なので、これが私と思えるような活動をしたいと思ったのもあります。30歳くらいの時から、私って何?と思って、35歳の時に1年だけと決めて東京へ来ました。
その1年間、美術館など100件くらい巡りました。そこで初めて、自分を見つめ直す時間を取りました。その結果、作品を作ってみたいなと思ったのです。
写真を撮るようになって、幸せとは毎日楽しくいられることだなと感じました。小さな自信の積み重ねが幸せになっていきます。その延長線上が私の作品になっていると思います。
物の見方もそうですが、写真を撮る時も、色々な組み合わせを使うことで、ガラッと変わります。写真は何でもなれるのです。例えば料理だったら、食べ物の中にフォークをいれちゃダメとかあるけど、写真はフォークを何にでも変えることができるんです。
最近は焦りがなくなりました。自分のベストがわかってきたようです。今の生き方が私にはあっています。私自身でいうと、今の状態が一番いいんです。それは人と比べないことです。そうすることで楽になりました。
大切にしたいことを大切にしたい
記者 いろいろな表現手段がある中で、なぜカメラを選んだのですか?
寅貝 私の実家は町の写真館だったんです。
記者 そうだったんですね!
寅貝 それがお客様も減っていって、私は必死になって、実家を何とかしようとしていました。私がコンサルをする感じで、私が実家を変えていかないとと思っていました。
それがある時、「もうやめて」と母から言われて。「あなたが言うことはわかるけど、これ以上お店を変えないで」と言われたときに、私はなんのためにやっていたんだろう、とわからなくなったんです。親が一番大切なのに、その親を苦しめていました。
それで考えて出た結論が、「今のままでいい。親が喜んでくれることがいい。ガツガツしない。よくしたいと思ってことが間違ってた」という事でした。それで、実家を何とかすることは、もうやめようと思いました。そして、大切なことを大切にしたいと思ったんです。私が経営するのは向いてないとわかりました。経営するのは私の肌にあってなかっんのです。家族みんなが仲良くやっていくことが、私の幸せだったのです。
嫌々やり続けるよりも、やめる勇気が大切
記者 最後に、読者の方へのメッセージをお願いします。
寅貝 楽しく、自分に正直になることですね。そして、時には逃げることも大切だと思います。私はこれまでやってきたことを、スパッとやめることを重ねてきています。嫌々耐えてやっていくことは、人生に対してもったいないです。続けるということが良いイメージで、続けないというのが忍耐力がないなどと悪いイメージで言われたりしますが、「やめる勇気」というのは大切だと思います。迷ったらやめてらいいと思います。
自分だから、人間だからできることを、追いかけていくことがいいですね。
記者 本日は貴重なお時間をありがとうございました!
********************
寅貝さんの情報はこちら↓↓↓
●ホームページ https://art.atorietorako.com/
●インスタグラム https://instagram.com/toragai.machiko/
********************
【編集後記】
記者を担当した、陣内、目黒です。初めて寅貝さんのローレフォトを見たとき、「こんな所があったら行ってみたい!」と、とても惹かれました。いろんな想像を掻き立てる素敵な作品ばかりなので、ぜひインスタグラム等で観てみてください^_^
常に「楽しく生きること」を追求されてる寅貝さん。今とても満足した生き方をされている背景には、過去を断ち切る大きな決断があったんですね。
社会に出ると、嫌なことをやめるというのは、できそうでなかなかできないことだと思いますが、少しづつでも自分の好きなことを蓄積して、人生を楽しむ人が増えていったら、社会も変わっていくと思いました。寅貝さんのこれからのますますのご活躍、応援しています!
********************
この記事は、リライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?