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弔い/ROCK READING「幸福王子」に寄せて

ROCK READING「幸福王子」のラストは、打ちひしがれるようにその場にしゃがみ込み、項を垂れる王子の姿で終わる。
一回目の観劇を終えたあと、私は年甲斐もなく泣きながら帰路に着いた。二回目の東京千秋楽では心構えもできていたしこれで見納めでもあったので、一回目よりは落ち着いて観ることができた。カーテンコールで笑顔の本髙くんが出てきたとき、私があの王子に会うことはもう二度と無いのだろうと思った。

幸福王子では、王子がツバメに愛を告白するくだりが削られている。舞台のテーマにそぐわなかったからなのか、王子の性格に合わせたからなのかはわからない。だがツバメが王子を愛した故に王子の元に居続けたことは原作通り明言されていたため、そのアンサーとも言える王子の愛の言葉が削られていたのは意図的なものを感じた。王子がツバメを愛していたかどうかは、観客に委ねられたのだ。ラストで王子の像の頭から王冠を抜き取ったあとの動作はアドリブだと思うのだが、本髙くんは王冠を肩に載せるような仕草をした。それが懺悔なのか、感謝なのか、愛なのかは受け取り方次第だ。
しかし一つだけ分かるのは、愛があろうと無かろうと、王子には何の救いにもならない、ということである。幸福王子はそういう風に組み立てられた物語なのだ。
演者が全員退場し、本髙くんのモノローグで物語は終わりへと向かう。途中一度だけ私という一人称が出てくる。火にくべられ神の国の住人となった王子が現世に遺した最後の言葉だったのかもしれない。
では観客に背を向け、かつての自分であった王子の像を見つめ続ける彼は一体誰だったのだろうか?きっと彼は絶望はしていても、後悔はしていない。彼は最後まで自分が正しいと思うことをやり遂げたのだ。そう信じたかった。
人には戻れず、輪廻転生の輪からも外れ、神の徒として併合することもできなかった彼に対して私ができることは、書くことくらいしかないのである。



2020.11.8 追記

全公演が終了し、今日が本当の意味で王子の命日となった。私は上記の文章を追悼のつもりでtwitterに投稿していたのだが、読んでくださった方から、これははなむけの言葉だ、と言っていただいた。私は大変驚いたが、同時に嬉しくもあった。その言葉は私の中で行き止まりになっていた王子の物語に風穴を空けてくれた。
もう二度と王子に会えないことに変わりはないし、王子の物語が進むこともない。それでも彼の姿を記憶し、それぞれに語る言葉を持つ人達がいる限り、彼は存在し続ける。そしてまた、いつかどこかで彼だったものに出会えるかもしれない。書くことしかできなくても、書くことにしかできないこともあるのだ。

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