Attitude
タイトルに書いてあるもの、
彼らの概念である曲、ゆえに彼らの芯の部分
私は、フェーズ1で括られているファンと呼ばれる人はその曲の重さ、
彼らの想いを知っているから、大切にしている
だからこそとても繊細に感じるものがたくさんある
活動休止、メンバー2人の脱退
というあまりにも唐突に、
そしてそのショック以上の感情を経験したファンにとっては
未だにその理解を受け入れられずにいる人もいる
それは5人という存在が、あまりにも大きかったから
5人で築き上げた音楽、5人で過ごした日々
5人とファンで繋がっていた時間、何もかもが
フェーズ1最後のツアー
EDEN no SONO
このツアーをもって活動休止になったが
それまでもAttitudeという楽曲は世に放たれてから
一度も披露されることはなかった
だが、フェーズ2、
Utopiaの一曲目で彼らの概念、想いが歌われた
5人でやらなかったこと、
活動再開後の最初のライブで
一曲目にこの曲を選んだのは
3人でやっていこうという
覚悟の表れなのかもしれない
エンターテイメントとして昇華されないように、
ミセスが忘れられないように、
大森元貴が心を擦り減らして
産み落としてきた楽曲の存在、その想いたちが
誰かの心から薄れ、忘れられないように
何より大森元貴自身がそれらのことを危惧して
恐怖を感じていたのかもしれない、
そのためのソロ活動等が水面下であった、
本人もそれを語っている
「フェーズ1は僕たちの青春でした、僕たちは今までもこれからも仲間であり、家族です」
ミセスの楽曲に対する向き合い方、
ミセスという存在、その在り方は
これからも変わらないと、
これからも歌い続けるのだと思って涙が出た
The White Lounge
このツアーは賛否が分かれると、
でもファンを信頼しているからこそこのツアーができると
だからこそツアー中はネタバレをしないようにと、
大森はずっと呼びかけていた
知ってしまうと先入観を持って見ることになるからだ
ストーリー仕立ての全てがアレンジでの楽曲構成
その中でAttitudeのアレンジ
歌詞とは裏腹にポップな音のアレンジで披露された
このAttitudeを聴いたフェーズ1からの
ファンは疑問と違和感を感じたのだ
もうライブでやることはないと思っていた
だって彼らの概念であり、芯の部分であるから
それが今回のFCツアーで、唄われたことに
ショックを隠しきれない人、否が生まれた
今の彼らは多様性として様々なことに挑戦し
バンドの枠に囚われないやり方をして
Mrs. GREEN APPLEというバンドを確立させている
が、たびたびその多様性、多面的なところに
違和感を感じる人が多かった、
そして私はその様子をよく見かけていた
だが、今回は大きくそれが出た
これはAttitudeだけではない、
君を知らない、
PARTY、
もしかしたら今回のツアー自体かもしれない
全部は理解できなくても、
どれだけミセスの歌詞をたくさん咀嚼して
その意味を、今までもたくさん考えたのに
あれだけ恋愛ソングのように改変されていて
楽曲自体が軽くなっている気がしてたまらないと
そう思ってる人が少なからず見受けられるのだ
あなたたちが唄ってきた楽曲を、ミセスを信じてついてきて、
絶望も寂しさにも寄り添って唄ってくれたのに、なんで?
というようなそんな寂しくて、苦しい、
まるでミセスが離れていくような感情、
またはそれ以外の感情を抱いて観た人が
目立ったように感じた
私は大森と若井と藤澤が雑誌や
ドキュメンタリーで語ったこと、言葉
全部は覚えていないが、覚えている
彼らがそこで語ったことは本心なはずだから
それを分かった上で、人は変化、成長をする
良くも悪くも、変化はするけど
変わらないものは残っている
そこに存在しているはずだから
彼らの紡ぐ言葉を聞いて、彼らの覚悟を、
その想いを何回も
私は理解しているつもりだった
このツアーを観て、
1人ひとりの感性で見たものを自分のものにして持ち帰ってほしい
インスタライブでそんなニュアンスのことを
確か言っていた気がする
私はこのツアーで涙をたくさん流したし、
正直、この曲をアレンジでこういう風に表現するんだな、とか
もちろん、やるなんて思ってなかった、けど、
このFCツアーでしかできないことを表現したいから
この楽曲を唄ったのかな、とか、
今回のテーマってこうなのかなとも考えたり
私なりに解釈もした
だからこのコンセプトツアーに
この曲を選んだと決めたのかなと、
セトリの意味を、
このツアーをたくさん咀嚼して思った
だが、今まで違和感を感じてしまった人の
気持ちは計り知れぬもので
その人たちの気持ちを前からずっと知っていたし、
それに5人の姿をまた見れると待っていたのだから
おこがましいが私もフェーズ1からのファン
5人での活動、活動休止、
2人の脱退に抱いた辛さもその恐怖も覚えている
だから共感できるところもある
5人の姿だってまた見れると思ってた、でもできない、
だったら今のミセスを愛そう、
1人ひとりを愛そう、
大好きな気持ちはそう変わらないんだ、私は
だが、その人たちの大きな気持ちを知ることで
私は思った
私、実は結構軽めのファンなのか?
もちろん楽曲だってメンバーの存在だって、人柄だって、
5人が、3人になってしまっても
ミセスの創る音楽の芯が変わらない限り
私はずっと応援したいし、している
でも、反対に真剣に今回のことも含めて募った感情を抱えている人がいて、
その気持ちに葛藤しながらも愛を受け取り、
それでも応援をしている人を考えると、
あれ?実は私の好きって気持ちは自分が思ってるより
そうでもない?って今さら思ってきてしまって
揺るがないはずのものが、少し揺らいでるように感じて
疑問に変わって急に不安になってしまった
人の好きの大きさ、抱えているもの、
賛も否も、その感性だって、
全て1人ひとり異なってる、これが多様性か?
私がさらっとしているだけ?
そんなに割り切れるものじゃないから葛藤してるって人がいる
じゃあ、私は私なりに大切にしているけれど、
同じショックな経験もしているけれど、
ミセスと前を向きながら、
過去に囚われて、縋るようなことはしないけど
過去があったからこそ
だから過去のことを忘れずに、
振り返っては大切に、
なおかつこうやって純粋に応援したい、
曲だって変わらずに好きだ、
あなたたちがライブでやりたいこと、伝えたいこと、
その場に行ってちゃんと見たいし、
受け入れたいというか見届けたい、
やりたいことをたくさん広げて行く中でも
これからも裏切るくらいに
心を潤してくれるあなたたちの音楽を、
その姿勢を応援したい
これでも愛してると中途半端に言ってるのか?なっているのか?
なんて思ってしまい、
行き場のないこのどうしようもない
感情をここで綴ってしまっているのです
私の好きという気持ちが、
どうか薄れていくことがないように、
誰かの声に、好きの気持ちが
弱ってほしくないと思っているよ、
自分の感性を信じ、
この今までの素敵な記憶を
私は誰かの声で
上書きしたくない