星とレモンの部屋 何度も見たんだけど、なんて言えばいいか分からない
今年の3月にNHKで放送されていた「星とレモンの部屋」というドラマを見ました。
もう何度も視聴しているのですが、見るたびに、あたたかさとやりきれなさと、上手く言葉にできないような気持ちでいっぱいになってしまって、どう感想を述べればいいのかわからないのです。
でも、今まで自分を守ってくれた親が年を取って死んでいくというのはどうしても避けられない未来で、だからこそ、こんなにどうしようもない気持ちになるのに目を逸らせない。
だから、上手く書けるか分からないけど、このこころの中に渦巻いている感想をどうにか文字に起こしてみようと思う。
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「わかる」なんて軽々しく言ってはいけないんだけど、いち子ちゃんの不安がちょっと分かる気がしてしまう(おそらく強迫性障害でしょうか)。
分かるけど、分かるからこそ、お母さんが倒れたのに通報できなかったり部屋に戻って現実逃避しようとしたりした場面はやきもきして辛かった。
いち子ちゃんは、中学時代のいじめがきっかけで、自分が自分として存在していることへの安心感を失ってしまった女の子。
部屋から出ないこと、手袋をすること、消毒、毎朝のラジオ体操、…。
傍から見れば何それって思われるかもしれないけれど、この決まりを守らないと死んでしまうくらい不安なんだ。
でも本当に辛いのは、多分いち子ちゃん自身も、こんな変なルールを律儀に守っているのは変だと理解していること。
変だと分かっていても、襲い掛かってくる不安と恐怖を一瞬でも消し去るために、決まり事を守って生活するしかない。
自分はおかしい。そんな自責と自己否定の中でも、確認行為をやめられない。確認行為は一時的な痛み止めだから。
分かっているつもりだったんだけど、
お母さんは倒れたんだよ。
”普通”なら、お母さんに呼ばれたらすぐ部屋から出て、異変に気付けるでしょ。
”普通”なら、救急車を呼べるでしょ。
”普通”なら、この緊急事態に自室に逃げ込んだりしないでしょ。
”普通”なら、お母さんを助けられたかもしれないのに。
そんな感想が心に浮かんでしまう。いち子ちゃんに対してやきもきしてしまう。
いち子ちゃんを責めることは出来ないし、だからといって仕方がないと擁護するのもしっくりこない。どんな感情を抱けばいいのか分からない。
あの時、いち子ちゃんはどうすればよかったんだろう。
というより、今ここにいるだけで精一杯のいち子ちゃんには何ができたんだろう。
”普通”だったら、…って言うけれど、そもそも普通って何だろう。
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同じくひきこもりの青年、涼くん。
彼はよく「馬鹿にするな」という言葉を使うのが印象的でした。
涼くんが亡くなったお父さんと対話している時「こうなったのはあんたのせいだ」「親なんだから全部責任取ってよ」なんてことを言っているけれど、
実際は、お父さんが涼くんに言ってた「こうなったのは自分のせいだと思わないのか」「学校にも行かせて、いくら金を出したと思ってるんだ」という言葉こそ、涼くんが心の中で何度も自分に浴びせていた自責の言葉なんじゃないかと思う。
髪を伸ばして顔を隠さずにいられないくらい辛いことがあって、本当は誰かに助けてほしくて、でも自分なんかが救いを求めていることが許せなくて。
だから、救われたい自分は、救われようとするのを責める自分から絶えず否定の言葉をぶつけられる。
引き裂かれそうな心の叫びが「馬鹿にするな」「ぶち殺すぞ」という言葉になって口からこぼれてくるんでしょうか。
涼くんは、自分はこんなはずじゃなかった、もっと皆からすごいと言われるような人になるはずだった、というプライドの高さがある。
そして「妥協していればもっと幸せに生きられた」と、そのプライドの高さが生きづらさの根源であることも分かっている。
自分は本当はすごい人間なのに、っていうのは、すごい自信家に見えて本当は臆病な心の表れですよね。
だって、周りから一目置かれるような自分でないと愛せないってことだから。自分が自分であることに安心感のある人は、自分に何のとりえが無くても大したことなくても気にしない。そんなのに関係なく自分が大切な存在であると思っているから。
なんて書いているけれど、馬鹿にされたくない、自分はもっとすごいんだ、という気持ちはすごくよく分かるし、どう対処すればいいかもわからない。
自分がいてもいなくてもいい存在なんだと分かった時、”普通”に生きている皆はその衝撃と悔しさからどう立ち直ったんだろう。どうして真っ当に生きていられるんだろう。
卑屈にならずにいられない。
馬鹿にされたくないと思って、心にも体にも棘を張り巡らせて警戒しているのって、すごく大変。
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勇気を出してお母さんの遺体を布団に寝かせ、部屋を掃除したいち子ちゃんは、亡くなったお母さんと夢の中で対話する。
もう大人なのに人が怖い、お母さんのお葬式も上げられない、と泣くいち子ちゃんをなだめる場面は母親の無条件の愛みたいなものを感じるのだけど、
一方で「あなた死体には謝れるのね」「(お化粧を教えて欲しいと言われて)もっと早く言ってくれたらね」という皮肉ともとれる言葉からは、いち子ちゃんが引きこもっていた18年間はもうやり直せないという現実を突きつけられる。
もしかすると、いち子ちゃんがお母さんに言ってほしかった言葉を想像の中で言わせている、という部分もあるのかもしれない。
やっぱり正解は分からない。
結局警察も救急車も呼べず、窓を割ってクローゼットに隠れるという方法をとったこと、母親が亡くなっているのにまず通報ではなくメイクをしていたこと。それでよかったのかは分からない。いち子ちゃんがそれ以上のことができたのかも分からない。そもそも”普通”の人ならどう行動するかも分からない。
でも、想像の中でお母さんが言っていた「大丈夫」の言葉があたたかくて、その言葉を信じて生きていけたらどんなにいいだろうと思ってしまう。
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淡い希望が見えたところでこのストーリーは終わるけれど、いち子ちゃんも涼くんも、この先どんな人生が待っているんだろう。
あんまりこんな事言いたくないけれど、学校に行かなくなったり母親が亡くなって警察に通報したりした時と同じくらい勇気を出さないといけない場面がたくさん待ち受けてるんじゃないかと思う。大丈夫なんて軽々しく言えないくらい人生は荒波だ。
いっそあの死体と一緒の部屋にいたほうが楽だったのに、と思う瞬間もあるかもしれない。
彼らがこれから何を選ぶのかも、それが正解なのかも分からないけれど、あの時同じ不安を持つ2人が出会い、不安を分かち合うことができた奇跡を忘れないでいたいと思う。