個人史⑦24歳
性同一性障害(Xジェンダーだけど)と発達障害の診断が降りて数年経った今、自分史をもう一度振り返ってみようと思います。
今回は上京して1年目編。長くなったので……。
性格
向上心が高まり休みの日も講演会に出かけたほど。発達障害は学生時代からよく調べていて自分もそうかもしれないと思いつつ、安易に決めつけたくなかったので放置。
性自認や性的指向について考え、自分とは何?を追究する。人と距離を縮めることは不安。
記憶、できごと
上京1年目
①猫1匹抱えて23区へ転居。こんなにたくさんの人が居るのに、私を知っている人は誰も居ないんだなあと感慨深い。寂しさも。
②勤務先は先輩1人と所長1人、パート数人。当初は現場の職員や子供たちからは好感が高かったらしい。が、行政の人からの巡視や保護者、他施設の同僚等からは「笑顔がない」と言われる。何度も指摘される。
③休みの日は都内観光や子供、LGBTsに関する講演会へ出かける。
④相変わらず友人はいない。頃合いを見てCさんに手紙を書いたり会いに行くのが唯一の支え。帰省するときは姉の家に泊まる。
⑤在職から2ヶ月で先輩が突如異動になり、中途採用になったばかりの男性が入る。新人研修も無いまま、先輩らしく振る舞うように圧をかけられることが辛い。職場のルールも理解していないのに。人員配置や一貫性の無さに疑問を持つようになる。異動した先輩もまだ2年目だった。所長とよく揉めていたし私は両方から愚痴を聞かされていた。
⑥午前中は狭い事務室に缶詰めにされ、プライベート雑談が飛び交う環境に耐え難くなってくる。私に生い立ちを聞くな。
コミュニケーションって難しいなと思う。
⑦7月頃から所長からの当たりが強くなる。この人はスケープゴートが居ないとやっていけないタイプだと気付く。私も不満がたまっていく。特に、子供を園児のように扱うところ、諭すような教育をしないことに。
⑧学校(児童教育)と学童保育(福祉施設)の社会的な役割の違いが分かってくる。
学童保育は親が安心して働きに行くための存在らしい。よって教育はしない。
……らしいが、納得いかない。
私は家庭と学校の間にある場所での教育もとても大事だと思っている。
⑨秋、施設長らとの面談で教師になることを薦められる。表向き穏やかだが退職勧奨であると悟る。所長の根回しなど色々思い当たる節はある。
⑩所長から無視されたり子供の前で罵倒されるようになる。メンタルが追い込まれる。口を利ける状況でないためトラブルも増える。業界自体に希望が無くなったことも重なって(地元と都内の施設では子供の見方に違いがありすぎる)退職。上京から9ヶ月で無職に。
起き上がれなくなる前に辞めたことは正解だった。
退職直後
①やけくそで教員の臨時募集に応募する。論文と面接なら何とかなるだろう…と思うも準備する気にならず。胃の不調と不眠症状が出る。
②なぜか受かる。
③LGBTsの講演先で話した人がXジェンダーだった。実はTVの特番で見たことがある人だと分かり、Xジェンダーを改めて調べる。その方主催の交流会に参加する。
まとめ
関心事に熱中する余裕が出てきた。
根底には自己理解のためという動機が強かった。気力のあるうちに退職を決め、次の職場に繋げることができたが、鬱症状があることに気づいていない。