個人史①0-6歳まで

性同一性障害(Xジェンダーだけど)と発達障害の診断が降りて数年経った今、自分史をもう一度振り返ってみようと思います。


両親

出生時 両親ともに40代半ばほど。
結婚当初から仲が悪かったらしい。
よく15年も続いたね。

きょうだい

姉と兄。遊んだ記憶がほとんど無い。
姉はきょうだいに自分の時間を取られるのが嫌で、兄ははじめから私をよく思っていない。
姉には怒られた記憶しかないのだが、私がASDだからかな?

記憶、できごと

①ベビーベッドで寝ていたら家族全員から顔を覗き込まれた憶えがある。いつかな。
これが最初の記憶。生後半年から保育園へ。

②2歳過ぎてすぐ、リビングで両親が話し合っている姿をドア越しに見ていた。中に入らせてもらえなかったし、いつも素っ気ない姉が世話を焼いてくれた。離婚話をしていたんでしょうね。数カ月後、父を残して近くのアパートに引っ越す。離婚後も保育園の迎えは父がしていたので、ほぼ毎日会っていた。

③4歳か5歳のころ、父方の叔母が突然死。初めてのお葬式。遺影を見上げたこと、棺桶の窓から何度も顔を眺めていた記憶がある。匂い、照明の暗さもなんとなく覚えている。詳細不明。

④5歳半のころ、母方の祖父が亡くなる。お通夜で遺体に触れたときの冷たさを今でも思い出せる。死、というものが理解できた。

⑤6歳。気づけば保育園の迎えはいつも最後の1人だった。先生がこっそりお菓子をくれたけど受け取らなかったような……。
友達2人以外と口を利かず、ずっと一緒に居ようとしていた。2人が帰ったら一人遊び。ポケモン大好き。ミニカーを並べるのも大好き。
先生から「言いたいことはちゃんと伝えないとお腹がプクーって膨らむよ?」とよく言われた。
たまに女子キャラクターの真似をすると兄から「女みたいなことをするな、言うな」とよく言われた。

まとめ(解釈含む)

親の離婚、死別が重なったことで「人は私から離れていくものだ」という認識を持っていた。母は仕事で手一杯、きょうだいも私を受け入れていないということで他者との信頼関係を築けなかったと思われる。よって友達関係も限定的で、固執していた。この基盤は今も揺るいでいない。
この頃から兄に女性らしさを抑圧されている節があるので、性別違和に繫がっているはず。つまり、私の性別違和は後天性である。


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